『泡沫ノ、あい   下』




















彼、国信は、本を読むコトが好きな人間だった。
共に過ごしている時も、何かしら本を読んでいるコトが多かった。
自分はそういった物が好きではなかったから、彼がどのような類の本を好んでいたのか詳しくは知らない。
分厚い本は、中を見ずとも頭が痛くなった。それに元々国語は苦手だから、嫌い。漢字等、持っての他。
大体、答えが一つではなく、人によって解釈が違うというのが気にいらない。
数学のように、答えが一つしかなく、はっきりしている方が好ましい。

けれど自分の好きな相手が好んでいるモノは、多少なりとも気にはなる。
聞いた所で、俺に解りはしないのだけれど。それでも、聞かずにはいられない衝動に駆られる時がある。
一緒に居るのに、自分以外のモノを映し出す彼の瞳。
自分の姿を映さない相手の瞳に、僅かな苛立ちと妬ましさを覚える。

「なあ、何読んでるんだ?」
「んー?」

本から視線を外さず、曖昧な返事だけが返される。
存外心の狭い自分は、そっと傍へと近寄り本を奪い取る。

「どうかした?」

そうしてやっと、顔を上げ、俺の姿だけをその瞳に映し出す。

「…別に。」

自分勝手も良い所だけれど、それに満足して本を返す。

「コレは一応、恋愛小説。かな?」

受け取り本を閉じ、それに視線を向けながら、先程の質問に微笑を浮かべ答えた。

「一応? 好きなのか?」

返された言葉に、普段彼が読んでいる内容と、随分違うことに気が付く。
曖昧に告げられた言葉にも、疑問を感じ、そのまま問い返す。

「一応っていうのは、最期に二人は心中するから。別に好きってわけじゃないよ。たまにはこういうのも良いかな、と思っただけ。」
「心中しても、恋愛物になるのか?」
「さあ、どうだろうね?」
「けどお前は、そう思うんだろ?」
「人の解釈は色々だろうから。でも、相愛の人間がする行為だし、恋愛小説なんじゃないの?」
「『心中』か…。」
「反対?」
「…どうだろうな。けど、死ぬわけだろ? それを選んだ時点で、負けを認めたみたいな気がする。」
「確かにそれも一利あるかもしれないね。俺は反対も賛同もしないかな。こういう想いもありかなって気がするし。」
「こういう想い?」
「心中を決意して、実行するまでには、何より覚悟がいるだろ? 突発的、そう簡単に出来る行為じゃないだろうし。」
「多分、な。」
「考え抜いた最終的な結論。俺は、死後の世界なんか信じてないし、来世とかいう曖昧なモノも信じてない。」
「俺も。」
「けど、"あい"するヒトの姿を目に焼き付けて、最期の瞬間を"あい"するヒトの手で迎えることが出来る。」
「…。」
「それはある意味、とても倖せなコトかもしれない。」
「…そういう考え方も、あるかもしれないな。でも、やっぱり俺は、死ぬより生きて一緒に居たいと思う。」
「考え方は、人それぞれだよ。」
「お前はどうなんだ、倖せだと思うのか?」
「否定はしない。世の中には不慮の事故で突然命を落としたり、遠く離れている時に、命を落とすコトだって有り得るわけだし。」
「…まあ、な。」
「そういうコトを考えたら、よっぽど倖せなんじゃない?」

言われた通り、離れ離れのまま、最期の時を迎えるのは哀しいコトかもしれない。

「それに、一人残されるのは辛いよ? 死ぬコトよりも、生きる方が辛い。」
「何だか、体験談みたいな言い方だな。」
「そう? 生憎そんな経験、今の所ないよ。じゃあ、例え話。もしも、そういう状況になったら。どうする?」
「どうするって…。」

どう返答したら良いのか、解らなかった。
しかし国信は、始めから答えなど求めてはいなかったのかもしれない。





「          」



そうして、とても綺麗で静かな微笑を浮かべた。










* * *










そういえばあの時、国信は何と言ったのだったか?
そして自分は、何故、今こんなコトを思い出したのだろうか?

「バッグの中、開けて見た?」
「ん? あ、ああ…。」
「俺はね、ナイフが入ってた。」

己の思考に没頭していたが、ふいに話し掛けられ、その声に、現実へと引き戻される。
言って振り返ると、隣を歩いていた筈の国信は、歩みを止めていた。
そうして手には、いつの間にかナイフが握られており、突然、手にしたナイフを、俺の首元へと突き付けた。

「ねえ、俺に殺されるかもしれない。って考えなかったの?」
「ああ。」
「どうして?」
「どうしてって…。」
「俺が手を掛けないなんて、保証は何処にも無いんだよ?」

彼の眼は鋭く、先程まで纏っていた穏やかな雰囲気は、微塵も感じられなかった。
そんな状況に置かれても尚、国信が俺を殺す等とは微塵も思わなかった。
否、思えなかった。何故なら―――。

「…お前は俺を、殺したいのか?」

問い掛ければ、あっさりナイフが下ろされた。

「俺は、生き残りたい。とは、別に思わない。元々生きるコトに対して、執着が薄いし。」

伏し目がちに、淡々と告げられる言葉は、本心で、事実だろう。
彼は、自分自身に価値が在るとは感じていないヒトだから。
国信との付き合いは、七原と比べたら断然短い。否、同じ施設で共に暮らしてきた人間と比較するのはオカシイが。
それでも、そんな短い付き合いの中で感じた彼の人となり。
価値を感じていないから、自身を顧みず、大切にしようともしない。
逆に自身が大切に思う者に対しては、傷付け様モノならば、先程俺にナイフを向けた様、躊躇いなく刃を振り下ろすだろう。
自惚れるわけではないけれど、その中に自分が含まれているコトを知っている。
だから、国信が自分を殺めるようなコトはしない。そう思った。
一概にそれだけが、理由の全てはないけれど。

「最後の一人、生き残った人は、可哀想だね。」
「え?」
「前にも言ったろ? 生きる方が、辛いって。俺達四十一人分の死を、踏み越えて生きて行くんだからさ。」
「…そう、だな。」
「俺は生き残りたいとも、誰かを殺めてまで生きたいとも思わない。ね、三村は生き残りたい?」
「え?」
「生き残りたい?」
「突然、何言い出すんだよ。」
「今、俺達が置かれている状況。一度は皆考えるコトだろ?」
「それは…。」
「その銃で、俺のコト撃てば、確率が上がるよ?」
「なッ?!」
「ああ、けど。そしたら誰かを呼び寄せちゃうね。」

そして、苦笑を浮かべる。

「前にした、本の話しを覚えてる?」
「本?」
「一緒に逝きたい。なんてコトは言わない。ただ、俺を逝かせてくれるだけで良い。」

国信の口からは、淡々と言葉が紡ぎ出されて行く。

「いつ、誰に殺られるか解らない。別にそれは構わない。けど、殺られるのなら誰でもない信史がいい。」

先程よりも、至近距離で彼の声が耳元へと届いた。

「銃だと、誰か来る可能性があるから。コレでもいいよ?」

言って差し出されたのは、俺の首元へと宛がわれたナイフ。

「…本気で言ってるのか?」
「こんな状況で、冗談なんか言わないよ。」

無表情な顔色からは、哀しいとか、諦めるとか。悲観してるわけでも、絶望しているわけでもなく。
何かしら、感情を読み取るコトは出来なかった。
否、言葉通り、それ以外の感情など何も存在しないのだろう。
こんなコトを言われ、一体俺はどうすれば良いのだろうか。
正直、俺の本心は、死んで欲しくはない。
けれど、言われた通り、いつ自分達が殺されても全くオカシクはない状況で。
『生き残れ』とは、『他者を殺めろ』と同義語だ。
しかも性質の悪いコトに、そちらを選択したからといって、必ずしも最後まで生き残れるとは限らない。
それに、俺が断った場合。恐らく国信は自らナイフを宛がうだろう。
ならば俺には、選択の余地など、あるわけがない。そう、始めから答えは一つしかないのだ。

「解った。けど、コレはお前が使え。」
「え?」
「俺が銃でお前を、お前がナイフで俺を。」

そう告げて、ナイフを持った国信の手を握る。
俺の言葉に、予想もしていなかったのか眼を見開いた。

「そんなコトしたら…。だって、瀬戸が待ってるんだろ?」
「…ああ。けど、お前が言ったんだろ? 『残される方が辛い』って。」
「それは…。」
「もう良いから、何も言うな。」

尚も、何事か言い募ろうとする、国信の言葉を遮るようにして、身体を引き寄せ抱き締めた。
暫くすると、背中に腕が回された。
そうだ。
彼が存在しないのに、自分が生きている意味などありはしないのだ。
だから、それでいい。

「きっと俺は、瀬戸に恨まれるだろうね。」
「それを言ったら、俺は七原に恨まれるな。」

顔を見て、笑い合う。
これから死のうというのに、こんなに穏やかな気持ちなのは何故だろう。
そうしてお互いの胸に、それぞれ手にした武器を宛がい構える。
ふっと国信が微笑み、それを合図に、手にした銃の引き金を引く。同時に、俺の胸にも衝撃を感じ、熱いモノが込み上げてくる。
鈍い痛みが、じんわりと広がって行き、僅かに表情が歪む。けれど何とか国信の姿を覗う。
瞳に映し出されたのは、微笑を浮かべ、泡のような血を口から零す国信の姿。
元々肌が透き通るように白かった、その白さが一層増し、青白い顔に、真っ赤な血が色鮮やかに映えた。
目が合うと、益々微笑を濃くし、背中へと腕が回された。それに応えるように、自分も微笑を浮かべ、抱き締め返す。

「あ・・りが…と――・・」

何に対する感謝の言葉なのか、それを最期に、まるで糸の切れた操り人形の様になった。
その身体を抱き留め、重力に従い、俺達は地面へと崩れ落ち、未だ温もりを感じる身体を両手で抱き締める。
薄れゆく意識の中、ふと先程思い出せなかった言葉が脳裏に蘇った。

「慶時…。」

彼の名を口にすると、同様に口から血が零れ落ちた。
最期の瞬間。俺の瞼に焼き付いたのは―――。





『紅い花と、"あい"するヒトの笑顔。』










* * *










『信史に殺られるなら、俺は倖せだよ。』

そう告げた、アイツの言葉が耳に響く。
あの時、俺は反対したけれど。今なら理解出来る気がした。
嗚呼、本当だな。俺もお前に殺られるなら、倖せだ。










こんな国に生まれたコトを恨め。
こんな時代に生まれたコトを憎め。
何一つ変わりはしない、この国を蔑め。
紙屑同然に処理されてしまう、自分達の生命の軽さを嘆き。
そう遠くない未来、崩壊するであろう、この国の行く末を嗤え。
俺達が生きてきた世界は、お世辞にも良いモノとは言えず、碌でも無かったけれど。
最期の瞬間を、お前と一緒に迎えるコトが出来た。
唯一、それだけは。




















この国に、こんな時代に生まれたコトを。信じていないカミという存在に、感謝しても良い。






















fin.     
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もしもプログラムに参加してたら、我が家の慶時さんは七原を庇って終焉な気がします。(妄想)
(でも七原を生かす為なら、他者を殺めるのも躊躇わないですよ。)
三国萌え的には、三村が飯島撃つシーン。コレはまあ、飯島を庇ったわけじゃなく、結果としてそうなった。になりますけど。(…)
慶時さんにとって七原は『自分を犠牲にしてでも助けたい人』 三村は『終止符を打たれてもいい人』 そんな感じです。

余談、題名の「あい」が平仮名なのは、手前の「」四つと係っているからです。

2005.11.11改