その日は、珍しく夕立があった。










『君と僕との距離 9』










空は一面キレイに澄み渡り、雨が降る気配など微塵もなかった。
朝の天気予報でも、降水確立は0%、一日中良い天気で、洗濯日和でしょう。テレビのアナウンサーも言っていた。
そんな日に、傘など持って出掛ける筈もなく。
突然の夕立に見舞われ、傘を持っているのは余程用意周到な人間くらいだろう。

そんな訳で、例に洩れず俺も傘を持たず。出掛け先で夕立に合い足止めされた人間の一人だった。
後は家に帰るだけだったと言うのに、なんともツイていない。
どうせスグに止むだろう、そう思い暫く待っていたが、雨は一向に止む気配を見せなかった。
逆に、青空は次第に厚い雲に覆われ、雨脚も激しいものへとなってきた。

「マジかよ…。」

口から、思わず言葉が零れる。
空を見上げてるが、太陽は完全に隠れてしまっていた。
溜息を一つ吐き、運良く居たのがコンビにというのもあり、仕方なくビニール傘を購入した。

「ありがとうございましたー。」

店員の声を後に聞きながら、傘を片手にコンビニを出る。
早速ビニール傘を開き、足を一歩踏み出す。

「前にも、今日と似たようなコトがあったな…。」

自然と零れた言葉に、知らず口元に笑みが浮かんだ。










***










傘をさし暫く歩いていると、激しく地面を叩きつけていた雨が小降りに変わった。
小降りとは言え、まだ傘は手放せない状態であるのだが。
大量の雨粒が地面を潤し、それと同時に気温の方も少し下がったような気がする。
ぶるり、自然と身震いしてしまう。
衣替えも終り、ダイブ秋も深まったのだ。と、こうゆう時、肌で実感する。

後少し行けば家に着く、そんな所に差し掛かった頃。
前方から歩いてくる人間に目を奪われ、思わず歩みを止める。
その人は、小降りになったとはいえ、未だ降り頻る雨の中を傘もささず。
鞄やタオルなどを頭にやり、足早に道を行くなら、それは雨の日に見掛けるコトのある風景。
けれど、走るでも急ぐ訳でもない足取り。いっそゆっくりと、のんびりした歩調。
そうして空を見上げながら、コチラへ向かい歩いている。
全身黒を身に纏ったその人物に、本日二度目となる既視感を覚える。

「おいおい、冗談だろ…。」

呟くと同時に、身体は無意識にその人物へ向かい走り出していた。

「国信ッ!」
「アレ、三村?」

がばっと肩を掴み名前を呼ぶと、突然のコトに驚いたのか、少し間の抜けたような表情と返事が返ってきた。
そして、空に向けていた視線を俺の方へと向ける。
目の前には、全身ずぶ濡れの国信。

「アレ、じゃなくて。ずぶ濡れで何やってんだよ?!」

全身びしょ濡れの姿に、思わず強い口調になる。
俺の言葉に、きょとんとしていた国信の表情が、一瞬吃驚したような物へと変わる。
それから、今気付いたとばかりに自分の姿を見遣る。

「ああ、歩いてたら夕立にあってさ。雨宿りする間もなく全身濡れちゃって…。」

うーん…。と頭を捻りながら、思い出したように状況を説明する。
国信の言葉に、溜息が零れた。何とも彼らしい理由だ。しかし。

「だからってな、そんな恰好してたら風邪引くだろ?」

それだけ言い、ぐいっと国信の身体を引き寄せ、自分が指していた傘の中へと入れる。
ふいに触れた国信の身体は、以前感じた時にも増して、雨が熱を奪っており、とても冷たかった。

「とりあえず、このままじゃホント風邪ひくぞ?」
「ん? そうかな…?」

がっくり、自分のコトなのに、まるで他人事のような物言いに項垂れる。
まあ、国信がこういう奴だと言うのは、解ってはいたけれど。
けれど今はそんなコトを、しみじみと思っている場合ではない。

「俺ン家スグそこだから、寄って行けよ。風邪引いたら洒落にならないし。」

そう判断し、有無を言わさず自分の家へと国信を連れて行くコトにした。
しかし男二人が、傘に入り歩くのは正直辛い物がある。
尚且、持ってるのは、安くて小さいビニール傘。誰かと一緒に入るには小さすぎる。
けれど、幾分小降りになったお蔭で、マシになったとは言えるのだが。
そんなコトを思いながら、歩いている途中。

「そう言えばさ、前にもこんなコトあったね。あの時とは立場が逆だけど。」

梅雨の日の出来事を思い出したのか、国信がそんなコトを言ってきた。
あの日も、今日と同様に、急な雨だった。
俺は丁度通りかかった国信の傘に入れて貰い、尚且つ傘まで貸してもらい、濡れずに家まで帰るコトが出来た。
まあ途中で傘を閉じたので、多少濡れはしたのだが。
そして『雨の日もそんなに悪いものではないな』と思った日でもあった。
だが、あの時と今とでは状況が違う。

「あの時俺は、全身ずぶ濡れじゃなかったけどな。雨が好きってのも分かるけど、限度ってのも考えた方が良いと思うぞ?」

少しの皮肉も込めて、そんな言葉を返した。

「雨が好き、なんて覚えてたんだ?」

俺の言葉を黙って聞いていた国信は、さりげなく言ったコトを俺が覚えていたのが意外だったらしく、少し驚いていた。

「お前が好きだって、言ってたものだしな。」

という言葉は声には出さず、心の中で付け足して置いた。
それから五分程歩いて、家へと着いた。
鍵をあけ、扉を開き玄関へと足を入れると、室内はシンッと静まり返り、当然のように人の気配はなかった。
郁美も出掛けると言っていたし、どうやらまだ帰宅していないらしい。

「とりあえずタオルだよな。」

傘立てに傘を突っ込み、家の中へと上がる。

「いつまでもそんな所に突っ立ってないで、上がって来いよ」

タオルを取りに行きながら、玄関に黙って立っている国信に声を掛ける。

「え? でも、そんなコトしたら、床濡れちゃうよ?」

そんなコトを言う国信に、少々面食らう。
が、まあ確かに、自分の家ならまだしも、他人の家だったら自分も気にするかもしれないな。と思う。
けれど今の自分にしてみれば、家が濡れるコトよりも、国信が風邪を引くコトのが一大事だ。

「そんなの気にするなって、床なんて後で拭けばいいコトだし。」
「…お邪魔します。」

俺の言葉に、尚も躊躇していた国信だったが、控え目にそう言い、靴を脱ぎ家の中へと上がってきた。

「随分静かだね?」

静まり返り雨音しか聞こえない空間に、国信は呟く様言葉を紡いだ。

「ん? ああ、誰も居ないからな。親は旅行だかなんだか、あんま家に戻って来ないし。妹も出掛けるとか言ってたからな。」
持ってきたタオルを手渡しながら、そう告げる。

「あ、ゴメン。ありがとう。」

タオルを受け取り、身体を拭く国信の姿を見て

「全身ずぶ濡れだったんだよな、タオルで拭いたくらいじゃダメだよな。風呂入った方が良いんじゃないか?」
「や、それは悪いし。コレで充分…っくしゅん。」
「ほら、風呂場はコッチだから。」
「……ゴメン、ありがとう…。」

クシャミが言葉を遮り、バツが悪そうに、苦笑する国信の姿に、思わず笑みが浮かんでしまった。
風呂場へと案内し、その後自分も若干濡れた身体をタオルで拭く。
一人残されたリビングで、ふと先ほど言われたコトを思い出す。
『静か』確かにそうかもしれない。
俺自身は、普段と何ら変わらないコトなので気にも留めていなかった。
親が常に家に居ないコトに対しても、生活観の殆ど無いような家に対しても。
いつの間にか、自分でも知らない内に慣れてしまっていた。
国信達が暮らしている場所は、人数も多いし、こんな風に静かになるなコトはないのだろうな。
そんなコトが、頭を掠めて行った。
が、スグに風呂場から聞こえてくる音に、現実へと引き戻される。

「着替えとか、用意しないとな。濡れた服はー…やっぱ洗濯した方がいいよな?」

国信が風呂から出てくる前に、まず着替えを用意しなければいけない。
そう思い、とりあえず自分の部屋へと向かった。
只一つ、余計なお世話だが、服のサイズが合うかどうかが心配だ。
俺の服では、どれを選んでも恐らくサイズが大きいだろう。と思いながらも、合いそうな服を探す。
身長のコトとか、本人は気にしているのだろうか?
そんな話をしたコトはなかったが、それ程小さい方ではないと思う。
けれど、いつも一緒にいるメンバーの中で考えれば小さい方かもしれない。

「コレで、いいかな?」

無意識に呟き、それらを持って風呂場へと向かう。

「着替えとか、ココに置いておくからな。」
「うん、ありがとう。」

風呂場の扉越しに、そう声を掛ける。
扉越しに返ってきた国信の声は、扉の厚み分だけくぐもって聞こえた。
それから、国信の濡れてしまった服を、洗濯機へと入れる。乾燥機もあるコトだし、暫く掛かるかもしれないが乾くだろう。
一通りやり終えると、リビングへと戻った。










***










ガチャっと扉が開く音に、顔を向けると、タオルを片手に国信がリビングへと入ってきた所だった。

「お風呂ありがとう、後着替えも…。」

俺が用意した着替えは、やはり大きかったらしく、袖や裾が少し折られていた。

「なんか、ちょっと大きくて、ムカツクかも」
ぼそっと告げられた言葉に、思わず笑いそうになってしまう。が、なんとか堪え話題を逸らす。

「濡れた服とかは、洗濯してるから。乾燥機もあるし、もう暫くしたら乾くと思うから、さ。」
「あ、わざわざありがとう。」

どうやら話題転換に成功したらしく、俺の言葉に、国信が笑顔を浮かべそう言ってきた。
時間にして約一時間程だろうか?
服が乾くまでのその間、二人で他愛ない話をして過ごした。

「もうスグ夕食時だね、三村は晩ご飯どうするの?」

ふっと時計に目をやった国信が、問い掛けてきた。

「俺は作れないし、買うか出前とかかな?」

それを聞いた国信は、顔を顰める。

「ねえ、前にもそんな話ちらっと聞いたケドさ、いつもそうなの?」
「あ、ああ…。」

少し強めの口調に、やや圧倒される。
あの日以来、お昼は作ってもらっているので、以前に比べれば食生活はマシになったと自分では言えると思うのだが…。

「…そんな……。」

ぽつりと小さく聞こえた声に、国信を見ると俯いていた。
具合でも悪いのかと、手を伸ばそうとした瞬間、顔が上げられた。
その行動に、びくっとし、伸ばしかけた腕が行き場を失い、宙をさ迷う。

「いくら作れないからって、そんな物ばっかり食べてたら栄養とか偏るよ?! 成長期なんだよ、一応育ち盛りなんだから。
 余計なお世話かもしれないけど、もう少し考えないと身体とか壊すかもしれないよ?
 …ちょっと冷蔵庫の中、見せて貰っても良い?」

いっきにそこまで捲くし立て、否、と言わせない口調に、黙って頷く。
そして、国信は冷蔵庫の中を物色し始めた。その後姿を眺めながら

(冷蔵庫には、確かあまり物が入ってなかったような気がする…。)

今朝開けた時、何もない状態に近かったような気がする。
俺は料理をしないし、郁美もたまにしか作らない。
よって我が家の冷蔵庫は、常に何も無い状態に近いものがあるのだった。

「生活観が感じられない…。ホントに、料理とかしないんだね。ココまで何も無い冷蔵庫ってのも、滅多に見れないよ。」

そう思っていると、冷蔵庫の扉を閉め、コチラを振り向きながら呆れた様な、驚いた様な国信の呟きが耳に届いた。

「スーパーとか買い出しに行った方が良いんだろうけど、時間もそんなに無いし。有り合せの物しか作れないけど。」
「え?」
「今日のお礼ってコトで。と言っても全然たいした物は出来ないけどさ。」

そして台所に立ち、夕飯の支度をしてくれた。
暫くすると、いい匂いがしてきた。

「後は、食べる前に少し温めればいいから。」

作り終えたらしく、声が掛けられる。
時間にしてニ・三十分っといった所だろうか? かなり手早いと言えるのではないだろうか。
包丁を握る手つきも、料理する姿も様になっており、普段からこういったコトをしているのであろうというのが、想像できた。

「悪いな、夕飯作ってもらって。」
「別に構わないよ、料理くらいいつでも…ってそれ、明日着るYシャツ?」

何か言い掛けた国信に、リビングに置かれてあった、それらが目に留まったらしい。

「ん?ああ、そうだけど…。」

その視線を辿り、顔を向けた先には、乾いた洗濯物の山。後でしまおうと思い、すっかり忘れていた。

「ダメだよ、こんな所に放っておいたら。皺だらけになるよ?」

言うが早いか、国信は洗濯物の前まで行くと、徐にそれらを畳み始めた。
その光景を、半ば呆気に取られ見つめる。

「アイロンはないの?」
「え? あー…、確かそこにあった筈だけど…。」

アイロンが置いてある場所を、指さす。
すると国信は、アイロンを取り出し、皺だらけになっていたYシャツ等にアイロン掛けまでしてくれた。










***










「何か悪かったな、色々やってもらって。」
「構わないよ、俺の方こそ色々ありがとう。服とかお風呂まで借りて…。洗って返すから、それじゃあ、また明日学校で。」
「ああ、じゃあな。」

洗濯していた国信の服も乾き、夕飯やら色々として貰っている内に、雨も止んでいた。
そうして、国信の背中を見送った。





その日の夜。
帰宅した郁美が、テーブルの上に置かれていた料理を見て、かなり驚いていた。
それらにはラップが掛けられており、まだ温かかった。
有り合せの物しか作れない。
国信はそう言っていたが、あの冷蔵庫の中身から、よくコレだけの物が作れたと関心してしまう。
折角まだ温かく、冷めていない料理を食べないのは勿体無い。
時間的にも、丁度お腹が空いている頃だったので、早速二人でそれらを食べるコトにした。

「美味しい!!」

一口食べた郁美が声を上げる。
その言葉に、何故か俺自身、当然だと言わんばかりの、満足げな表情になる。
(ああ、あの時七原の心境はこんな風だったのか?)
そう思うと、苦笑せざるを得なかった。

「でも、どうしたのコレ?」

黙々と箸を口に運んでいると、ふいに郁美が問い掛けてきた。
今日の出来事を、そのまま答えても良かったのだが、言い淀んでいると、

「あっ、解った!! お兄ちゃんの彼女が作ってくれたんでしょ?」
「…。」
「何か珍しい…。こういう人なら私も歓迎しちゃうかも。
 今度は私が居る時に連れてきてよ、一度会ってみたいし。料理とか教えてもらいたいな〜。」
「……。」

郁美の言葉に、黙るしかなかった。
これらの料理を作ってくれたのも、洗濯物にアイロン掛けして畳んでくれたのも、全部俺と同じ男なんだ。
今更否定も出来ず、言った所で信じてくれないだろう。
郁美の頭の中では、既にこの料理を作ったのは俺の『彼女』と結論付けられているようだし。
確かに『好きな相手』というコトに関しては合っているのだが…。
しかし、それは一方的に俺の片思いなわけだし。俺と同じ男だし。
ホントに、恋人なら、どんなに良かったろうな。
とりあえず、当分片思いし続けるであろうコトは確かだろうし。
まだまだ前途多難なのも、間違いないだろうし。そう思うと口からは、無意識に溜息が零れた。















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02.09.22
05.11.06改