梅雨入りした空はどんより重苦しく、一面灰色の雲で覆われていた。
そうして止む事なく、雨が降り続ける。

「はぁー…。」

降り頻る雨を眺めながら、俺は盛大な溜息を吐いた。





ザアァーッ…





視界には、先程から降り出した雨が映る。
ほんの少し前まで、厚い曇に覆われてはいたが、雨は降っていなかった。
迂闊だった、いくら朝から雨が降っていなかったと言え、今は梅雨の真っ只中。
何故傘を持って、家を出なかったのだろう。今更を思った所で、既に手遅れなのだが。
そもそも俺は、どうして外出等しようと思ったのか。コレと言った理由は、特に無かったような気がする。
只の気紛れだった。偶々気紛れで、傘も持たずに外へ出て、雨に降られて立ち往生している。
何とも虚しい結果だ。
そう言えば、以前にも同じ様な、特になんの理由もなく外出したコトがあった。
そんな日にアイツ…、国信と会ったんだっけな。
あの日の出来事が、ふと頭を掠めた。










『君と僕との距離 3』










何をするでもなく、ボーッと雨を眺める。
雨が降っている、只それだけなのに。何故だか無性に気が滅入る。
漠然と、雨の日はあまり好きではない。そう思う。
髪はぱさぱさするし、湿気が高くなるわ、気温も生温くて、服が身体に纏わり付く感じが気持ち悪い。
大体、何故梅雨なんてものがあるんだろうか?
こんなモノがあったって、たいして良いコトがあるわけでもないのに。
まあ、農家の人達等にとっては必用かもしれない。後は貯水、生活用水の為とかー…。
そう考えると、雨も結構必要というコトになる。
だがしかし、今の俺にとっては、全くこれっぽっちも必用じゃない。
寧ろ鬱陶しい以外の何物でもない。

「ったく、どうせ降るなら俺が家帰ってからにしろよ…。」

ぼやき、どんより重苦しい鉛色の空を見上げた。
厚い雲に覆われたそれは、一向に切れ間がなく、雨も止む気配がない。と言うよりも。
先程より幾分強くなた様に見えるのは、気の所為だろうか。
もうコレは、こうしていても埒が明かないのかもしれない。
ココに居たら、今以上に雨脚が激しくなる可能性も拭えない。
家まで距離が、それなりにまだあるが、この際仕方ない。走るか?

「…三村?」

声が掛けられたのは、そんな風に頭の隅で考え始めた頃だった。
雨の音に混じり、小さな控え目に掛けられた声に、空から視線を戻し顔を向ける。

「国信…。」
「こんな所で、何してるの?」

片手で傘をさし、もう片方の手にはビニール袋を持った国信が立っていた。
俺の姿を見止めた、微かに笑みを浮かべ話し掛けてきた。

「何って雨宿り。うっかりしてさ、傘持ってくるの忘れたんだよ。」
「いくら雨が止んでたとは言え、この時季に傘を忘れるとは。」

三村らしいかもね、そう付け加えクスリと笑う。

「そう言うお前こそ、こんな雨の日に何やってんだ?」
「俺?」

買い物、言って左手に下げていたビニールの袋を軽く持ち上げる。

「そんなコトよりさ、三村はいつからココにいたの?」
「あー…、三十分前くらいからかな?」
「そう、結構長いね。で?」
「?」

質問の意図が解らず、俺は少し頭を傾げた。

「雨止みそうもないけど、どうするの?」
「そうなんだよな。さっきより雨脚が強くなってきたみたいだし。ココにいても止まないだろうし、走って帰ろうかと思って。」

国信が傘を少し持ち上げ、空へ視線を向けたのに習い、俺も再び空を見上げた。

「なら―――、入って行く?」

俺の返答に、国信は傘を指し訪ねた。










***










ザアァーッ…





相変わらず雨は降り続けている。
あの後、国信の申し出に素直に甘えるコトにした俺は、国信と連れ立ち歩いていた。
とは言え、男二人が一本の傘に入るには、少々キツイものがあるのだが。
けれど、ずぶ濡れになる事態は、どうにか避けられた。

「悪いな。」
「別に構わないよ。クラスメイトを見捨てて帰る程薄情者じゃないし。」

そう言って国信は、静に笑った。
その言葉に、俺よりも僅かに低い国信の方をチラリと見る。
ちなみに傘を国信が持ち、その左側を俺が歩くと言う構図だ。
ぼんやりと、そんな国信をみつめていると。理由はよく解らないが、何となく雨と国信は似ている。と思った。
思った瞬間(とき)には、既に言葉が口から出ていた。

「お前さ、雨好きだろ?」

突然何を言い出すんだ、言い終え慌てて手を口元へとやった。
しかし当然ながら、口から発され音となった言葉は無かったコトには出来ない。
国信の反応が気になり、再び視線だけをチラリと向けた瞬間。
一瞬だけではあったが、視線が絡んだ。
でもそれは、本当に一瞬のコトで、次の瞬間には俺から視線を外し、再び前へと向き直ってしまっていた。

「そうだね、雨は結構好きかな? でも雨は好きだけど、雨の日はあんまり好きじゃない。」
「何だそれ?」

矛盾してるかもしれないけどと、続けた国信の表情は、何処か遠くを見ている様だった。










***










「それじゃあ、俺はココで」

あの後、何を話して良いか解らず、無言のままぼんやり歩いていた俺は、その声にハッと我に返った。
回りを見れば、国信が暮している慈恵館と俺が住んでいる家との丁度別れ道だった。

「え? って言うかもうスグそこだろ?」

別にお前が着いてから傘貸してくれれば…と続く筈だった言葉は、国信によって遮られた。

「別にさっきも言っただろ? 雨は好きだって。」

この位の距離なら、濡れても風邪引いたりしないから大丈夫。
そう告げると国信は、右手で俺の手を取り、左手に持っていた傘の柄を握らせた。

「それじゃあ、また明日、ね?」

微かに笑みを浮かべ、言うが早く背を向け小走りに雨の中消えて行った。
国信の後姿が見えなくなるまで、俺は暫くその場に立ち尽くしていた。
そうして完全に姿が見えなくなると、ふと傘の柄を握る自分の手に視線を下ろす。

「手、冷たかったな…。」

誰に言うでもなく、ぽつりと口から言葉が漏れた。
傘を握らせた国信の手は、ひんやりと冷たかった。元々体温が低いのだろうか?
確かに平熱とか低そうに見える。そんなコトを思った。
それから、先程のコトを思い返す。

『雨に似ている』

冷たいその手は、空から落ちてくる雨粒の如く。
大きくも小さくもなく、淡々と話す口調。何よりも、静に浮かべる微笑み。
そんな所が雨と似ているのかもしれない。





サァー…





ふと、地面や傘を濡らしていた雨の音が変化したコトに気が付いた。
視線を空へ向けると、一層激しくなると思っていた雨は弱まり。
この程度の雨なら、傘が無くとも、ずぶ濡れになるコトは無い筈。
まあ、霧雨程度の雨が、一番濡れるのも確かだけれど。
雨を見つめ、暫し考える。

「…。」

国信が好きだと言った雨。そんなアイツに似ていると思った雨。
その雨に、俺も国信と同様なコトをしてみるのも良いかもしれない。
そんな風に思い、パチンッと貸してくれた傘を閉じた。
傘を閉じ、先程国信が消えて行った道に背を向け反対の道へと足を進める。
嫌いだと思っていた雨。鬱陶しいだけだと思っていた雨。気が滅入るのを感じていた心。
そられ全てが、空から流れ落ちてくる雨粒と同様、いつの間にか何処かへ流れ去ってしまっていた。
ふと、僅かに笑みが浮かぶ。

(雨の日も、そんなに悪くはないかもしれないな。)





そう認識を改めた、梅雨の日の出来事。
















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02.06.16
05.11.07改