国信と初めて話したのは、中学二年になる少し前。春休みの出来事だった。
実際は、同じ中学に通っている訳だ。顔を合わせ、擦れ違うコトくらい幾度か遭ったかもしれない。
しかし同じクラスでも無く、取り分け目立つ存在でない国信を。俺は知る由も無く。
それが、偶然この日に出会ったコトにより、俺の全てを一変させるコトとなる。










『君と僕との距離 1』










それは三月、春休みに入りスグだったと思う。
普段なら、家でパソコンでもしているのに。何となく外出したい気分になった。
かと言って、誰か友達等に会いたい訳でもなく。只、一人で過ごしたいと思い家を出た。
けれど出たは良いが、別段したいコト、するコトも。目的も何も無く。フラフラと街を歩いていた。
それが、どうしたコトか気付いた時。海岸まで歩いて来ていた。
この時季に、海へ出歩く人間が早々居る筈も無く。居るとすれば相当の物好きな人間か、釣り等をする人間くらいだろう。
が、生憎と今日は。周囲を見回しても、自分以外の人間は誰一人として居なかった。
別段人が居ようと、居まいと。どうでも良いし、何が変化する訳でも無いから一向に構わなかった。
海辺でするコトも無いが、折角来たのだからと。暫く海を眺めるコトにした。

どれくらい時間が経ったか。一時間か三十分、五分かもっと短い時間だったかもしれない。
そんな所へ、ふらっとやって来たのが彼、国信慶時だった。
この時、俺は国信の名前も顔も知らなかったから。同年代の奴が来た程度にしか思わなかった。

全体的に黒を基調とした服を着込み、薄地で身体のラインがよく解る春物のコートを着ていた。
右手には、財布等が入っているのだろうか? 小さな鞄を持っていた。

自分以外にも、この時季海へやって来る物好きな人間が居るんだな、と思い。
最も俺の場合は、無意識の内に来ていただけなのだが。
兎も角、現われた彼は、この景色とよく似合った雰囲気を纏っていた。
俺は海から視線を外し、そいつの後姿へと視線を変えた。
どうやら俺同様、海を眺めている様だ。
違う点を強いて上げれば、浜辺に立ち海を眺めている俺と。コンクリートで造られた桟橋に立ち、海を眺めているコトだろうか。
そうして暫くすると、何を思ったか、徐に上着を脱ぎ捨て。持っていた鞄を放り投げ、突然海へと飛び込んだ。

「?!」

予想外の行動に、俺は思わず目を瞠る。一体彼は何を考えているのだろうか。
最近陽気は、春のそれへと変化し、日中は温かくなって来てはいる。が、それは日中の。しかも天気の良い日に限る。
生憎今日の天候は、厚い雲が空を覆い、気温も海辺というのもあり肌寒く、風も若干冷たい。
そんな中、海へ入る等、一体誰が考えるだろうか。
衝撃的な瞬間を目の当たりにして、少なからず俺は焦った。が、スグ我に返り、誰か人を呼んできた方が良いのだろうか。
思い周囲へ目を向ける。けれど、ココへ辿り着いた時同様、人の気配は皆無だった。
ならば俺自身が彼の元へ行くべきなのか、考え再度び視界を飛び込んだ辺りへと戻す。
すると丁度、そいつが海から顔を出したのが目に映る。けれどその姿に、俺は更なる衝撃を受けた。

笑っていたのだ。

何が楽しいのか、俺には全く解らないけれど。確かに、そいつは海に入ったまま笑っていた。
暫く、ふと笑顔が消え、飛び込んだ場所、浜辺の方へ視線を向けた。
彼が居る場所は、沖と言う程でも無く。けれど上着は脱いでいたが他は着たままな訳で、水の抵抗が無いとは言えない筈。
しかし落ちついた様子で、態勢を整えると。ゆっくりだが、岸へと泳ぎ出した。
浜辺へ辿り着けば、今まで海中へ居たのだから、当然全身ずぶ濡れ。
けれど全く気にした様子も無く、濡れて雫が落ちてくる前髪を鬱陶し気に、右手で後へと掻き揚げた。
そして呆然と、次々目の前で起こる光景を眺めていた俺に気付いたのか。目が合った。
一瞬驚いた表情を浮かべたが、スグに口元へ笑みを浮かべた。

俺はその笑みに、何故だか心臓が高鳴った。
そんな俺を余所に、上着と鞄を手にし。彼は俺の方へ、近付いて来た。

「こんな所で、何してるの?」

目の前まで来ると、少し高めの。だが張りのある凛とした静かな口調で、問い掛けられる。

「…。」

何を言っているんだ、コイツは?
それは俺の方こそ、お前に言ってやりたい台詞だ。
声には出さず、俺は心の中でそう思った。

「そんなのは、こっちの台詞だって?」

顔に出ていたのか、心を読んだ様に続けられた言葉。
耳に届いた声は、疑問系ではあるにも関わらず。何処か力強く、確信めいた響きを持っていた。

「俺はね、何だろ。うーん…、水浴び?」

楽しそうに笑い、自分がココへいる理由を口にした。
で、お前は? と俺は目で、再度問い掛けられた様だ。

「…何となく海を眺めてた所に、突然海に飛び込んだ変わり者を見てた。」

俺の返事を聞くと、あははは。実に可笑しそうに、目の前の相手は笑顔を向けた。
それは海に入っていた時に、浮かべていたモノとは違った。










***










その後、浜辺に打ち上げられたのか、流木へ腰を下ろした。
隣に座る彼に、視線を向ければ。髪や顔からぽたぽたと、雫が落ちるのが目に映る。
タオルや拭けそうな物等、生憎と持ち合わせていない。相手もそれは同じらしく、他人事ながら心配になる。
しかし相変わらず彼は、そんなコト気にした風もなく。上着を脇へ置き、何やら鞄の中を探る。

「何やってんだ?」
「んー? …っと、あった。」
「…ライター?」

問いに頷きながら、鞄から取り出したのはライター。
そして辺りに落ちている木を集め、同様拾い上げた紙に火を点け木の枝へと移す。
濡れた服を脱ぎ、乾かすのかと思いきや、どうやら着ている服を脱ぐ素振りは無い。
どうするのかと見守っていると、次いで鞄から出したのは茶色い財布。
全て黒で揃えられていた彼からすると、それだけが何だか浮いてる気がした。
皮製品らしいソレは、高価なブランド品の様に見え。かなりの厚みがあった。何処ぞ金持ちの御子息様、って奴なのか。
僅かに眉を寄せ、そう思った瞬間。無造作に手にしたソレを、目の前で赤く燃え上がる炎の中へと投げ入れたのだ。

「何やってんだッ?!」
「別に、俺のじゃないし。」

突然の行動に訳が解らず、叫ぶ様な声が思わず飛び出した。
けれどそんな俺とは対照的に、相変わらず興味無さそうな表情(かお)で、淡々と言葉を紡ぐ。
火はソレにも移り、微かに焦げた匂いを放ち煙を上げた。
どうするコトも出来ず、ただ呆然とその光景を見つめ、ふと自分のではないと言った彼の返答に。
まさか盗んだモノなのか? そんな思考が、頭を過ったが。

「言っておくけど、盗った訳じゃないからね。」

そんな俺の心中を読んだ様に、言葉が続いた。
盗ったのでもなく、自分の物でもなければ。果たしてソレは、一体どうしたモノなのだろうか。
問い掛ける様視線を向けれると、彼の顔は無表情で。

「無いより有った方が良いだろうけど、それだけって言うのも、虚しいだけだよね。」

イマイチ解り難い言葉を洩らし、その声は、心なし堅く冷たいモノの様に感じた。

「でも所詮、世の中金が全てなんだよね。お金で買えないモノは無いって。人の心も買えるんだってさ、知ってた?」

問い掛けられる様に続けられ、俺は返答に詰る。
そう告げた彼の口元には、皮肉気な笑みが浮かんでいた。
何と答えれば良いのか解らず、黙り込んだ俺を余所に。気付けば赤々と燃えていた炎は尽き、全て灰へと変化を遂げていた。
ソレを暫く眺めていた彼は、スッと立ち上がり、靴で踏み潰し蹴り上げる。
蹴り上げ宙を舞う、灰と砂とが混ざり合ったモノを、興味無さそうに無表情に見つめていた。
が、突然口の端を少し上げ、ふっと笑みを浮かべた。
そんな彼の表情に、何故か俺の心臓は再び高鳴った。

「それじゃあ、用も済んだし、服も大体乾いたし帰るかな。」
「ってオイ、ちょっと待て!!」
「何?」

くるりと背を向け立ち去る彼に、思わず声を掛けてしまった。しかし声を掛けたは良いが、一体何を言えば良いモノか。

「あーっと…、名前。そう! お前、何て言うんだ?」

特に何も思い付かず、結局当り障りの無い言葉だった。
しかし言った後、そういえば名前も知らなかったなと。ぼんやり、今更ながらに思った。

「三村信史って名前だろ?」

俺の問いに返ってきたのは、紛れも無い自分の名前だった。
彼はそう言って、口元に笑みを浮かべた。
まさか自分の名前が出てくるとは、思いもよらなかった。

「何で知って…。」
「そりゃあ色々と、俺と違って有名人だし。同じ中学に通ってて、知らない人間のが少ないんじゃない?」
「…。」

同じ中学?
確かに今、彼はそう言った。となれば相手は、同級生か一つ年上か、だ。

「新学期になれば、会うコトもあるかもしれないね。」

背を向け肩越しに振り返り、またね。そう言い残すと一度も振り返るコト無く、立ち去った。
その後一歩も動けずに、俺は暫く立ち尽くしていた。我に返ったのは、風が益々強くなり始めた夕方。

家に帰ると、相変わらずシンッと静かで。部屋に戻る途中、妹の郁美が声を掛けて来たが。
未だ頭はぼんやりしており、俺はそれに適当な返事を口にするだけだった。
部屋の扉を開け、中に入ると、そのままベッドに倒れ込んだ。頭を過るのは、結局名前も解らず終いな彼のコト。
『新学期になったら、会うコトもある。』去り際、言われた台詞。
彼が誰なのか、二年に、四月にならなければ正体が解らない。
この日以降、新学期が来るのが待ち遠しかった。それは今までに無い、初めての経験だった。
何かをコレ程待ち遠しと、寧ろもどかしくて堪らないなんて思うコトは。










***










そしてやっと迎えた新学期。
俺は幼馴染兼、親友である瀬戸豊と共に学校へ向かった。

「シンジー、今年は同じクラスになれると良いねー。」
「そ、うだな…。」
「クラス発表の紙、早く確認しないとね。」

朝からそわそわ落ちつかず、色々と通学途中話しを振られたが、頭半分しか入ってこなかった。
けれど豊は気にした風もなく、学校に着くと早々にクラス名簿の張り出された掲示板へと走り出した。
豊の後を俺は、周囲へ目を向けながら追いかける。彼が居るかもしれない、そう思いながら。

掲示板の回りは、クラス発表なだけあり。辿り着いた時には既に、人垣が出来ている。
通り過ぎ際「同じクラスだね。」とか「別々のクラスになっちゃったね。」等と言った会話が聞こえた。

「シンジ、何組だった?」
「まだ探し中。」

一足先に掲示板を見上げ、自分のクラスを探している豊に習い、俺も掲示板へと視線を向けた。
丁度その時、隣から声が聞こえた。

「慶時、何組だった?」
「B組、秋也とも同じクラスだよ。」
「嘘、マジで?!」
「うん、しかもほら。凄いクラスっぽいよ。」

そんな会話が耳に入り、自然B組のクラス名簿へと俺も目を向けた。
彼等の会話から、慶時と言う人物は、出席番号七番の国信慶時だろう。
同様に、秋也とは恐らく…。名簿を下に読み進めると、十二番の欄に豊の名前があった。
そして直後、出席番号十五番に七原秋也の名前が書き記されていた。
何気なく最後まで見続けると、十九番の欄に自分の名前を見付けた。

「あっ、あった! 俺B組だー、シンジは?」
「俺もB組。」
「わー、同じクラスだ! 楽しくなりそうだねー。あっ、シューヤにノブさんだ。おはよー、二人は何組だった?」

今朝言われた通り、豊と同じクラスになれた様だ。俺の返事に、嬉しそうに微笑むと。
丁度俺の左隣へ居た二人に、豊が気付き親し気に話し掛けた。
そう言えば昨年、豊は七原とは同じクラスで。国信とは委員会が同じで親しくなったとかで。
会話の中に、たまに彼等の名前が上がるコトもあったのを思い出す。

「おはよう瀬戸、俺達も同じB組だよ。」
「ホントに?! 凄いや。ね、聞いたシンジ!!」

興奮気味に言い、俺の右腕を豊が叩く。そんな豊を制しながら、顔を二人が居る左側へと向けた。

「ッ?!」

視線先、俺の目に映し出されたのは、あの日海で出会った彼。朝からずっと探し求めていた人物だった。
驚き、言葉も出ない俺を余所に。

「俺は国信慶時、宜しくね?」

そして、にっこり微笑んだ。
再会は唐突で、実に呆気無いモノだった。
只、一つ。
あの春休みに、出会った海での印象と、全く異なる雰囲気以外は。
















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02.05.18
05.11.12改