Day when it knew resignation as empty of hope

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家族というモノは、一体なんだろうかと考えるコトがある。

両親と妹、それが俺にとっての家族だけれど。

唯、それだけの関係だと俺は思っている。

今よりもっと、小さい頃。

あの頃の方が、まだ家族らしかったような気がする。

いつからかは、思い出せないけれど。

成長するにつれ、父親は滅多に家に居ない存在となっていた。

殆ど帰っても来ない。居るコトの方が稀な状態が、今では普通になっている。

家に寄り付かないのは、外に女を作っているからだ。

直接聞いたわけでも、現場をこの目で見たわけでもないけれど。

そんな雰囲気が漂っている。

父親同様に、母親も似たようなモノだ。

趣味や習い事などに時間を費やし、家に帰っても居ないコトの方が多い。

父親がそんな状況にあっても、黙認しているような人だ。

もしかしたら、母親の方にもそういった相手がいるのかもしれない。

こんな状況が、長く続けば。

両親が揃っているコトにこそ、居心地の悪さ。息苦しさを感じるのは当然で。

家に居るのに落ち着くコトが出来ないというのは、一体どういうことなのだろうか。

二人の間には、愛情とか。そういったモノは、最早存在すらしないのだろうと思う。

家族…、子供というモノに。あまり興味が無いのかもしれない。

ならば何故、一緒にいるんだろうかと不思議に思ってしまう。

それは会社の立場や、世間体というモノを気にしているからなのかもしれない。

家族なんて名ばかりで、家族らしいコトなんか、何一つしようとしない。俺達がしているのは、家族ゴッコだ。

俺はそれでも、別に構わない。だけど郁美の、妹のコトはもっと考えて欲しいと思う。

薄々、何かを感じているようだけれど。

だけどさすがに、両親のコトを快く思っていないなんてのは、言え無いし知られてはいけないコトだと思う。

そうならない為にも、俺から両親のコトについて話しを振るなんて行為はしない。

こんな、家族とも言い難い環境の中でも。

俺が唯一、心を開き、尊敬していたのは叔父だった。

あの父親と兄弟だなんて、とても思えない程、二人は似ていなかった。

だから叔父に対して、父親は否定的な部分が多かった。

様々な知識を得ており、沢山のコトを叔父は俺達に教えてくれた。

滅多に顔を出す機会はなかったけれど、それでも俺は叔父が尋ねてきてくれるのが楽しみだった。

俺達の、俺のコトなんか何も解ろうとしない、知ろうともしない。

自分の意見のみを押し通し、自分の意見こそが正しいのだと有無を言わさず押し付ける。

働いて、金を稼いで俺達に渡して。それで全てを解決しようとする。

俺が欲しかったのは、そんなモノじゃなかったのに。

そんな父親よりも、叔父の方がずっと温かくて、何より人間味があった。

だけど、父にも良い所があると。叔父は口にしていた。

唯、少し不器用で、表現するのが下手な所があるだけなのだと。

そんな風に言っていた。

尊敬する叔父が言うのだから、もしかしたら俺が気付いていないだけで、そうなのかもしれない。

だから、悪く思わないようにしていた。

でも、叔父は死んだ。

事故だった。

そうして父親は、自業自得だとばかりに。事も無げに吐き捨てた。

決定打だった。

俺はもう、あの人には何も望みはしない。

それを望むだけ、無意味で虚しいコトはない。

叔父には申し訳無いけれど。

俺にはもう、父の良い所なんて。探す気も、関心も。何もかもが消え失せた。

両親から、父親から俺が学んだのは。

期待して裏切られるのなら、初めから何も望まなければ良い。

虚しい思いをするなら、諦めてしまえば良いという行為だった。






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(2006.4.29)