There is no
change in the fact it though known that looking back on the past is
useless.
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俺を望んでくれた人は、今はもうこの世にいない。
子供を欲しがっていたのは、父親だった。
母親と知り合った時、父には既に奥さんがいたらしいけれど。
その人は病弱で、子供を産めるような身体ではなかったらしい。
奥さんが病死して、母親は所謂愛人という立場から、正式な妻という立場になった。
そして、俺が生まれた。
だけど元々、母親は子供なんかを欲しいと思っていない人だったから。
俺を気に掛けたりしてくれるコトは、殆どなかった。
日中仕事で家を空ける父親に変わり、俺の面倒を見てくれたのは。
母親ではなく、ベビーシッターとか家政婦と呼ばれる人物で。
その所為か、彼女こそが自分の母親なのだと思っていた。
仕事が終わり、帰宅後や休日になると。
父親は何処かへ連れて行ってくれたり、遊んでくれて、面倒をみてくれた。
俺のコトを可愛がってくれたし、愛してくれた。
朧気ではあるけれど、今でもちゃんと記憶に残っている。
でも父さんは、俺が三歳の時に事故に遭い。帰らぬ人となってしまった。
*
母は、綺麗な人だった。
色が白く、身長もスラッと高く細身で。長く艶やかな漆黒の髪をしていた。
それがとても印象的だった。
派手に化粧をするわけでもないのに、人目を惹く。
着ている服も、どのような物を着れば自分に似合うのかを理解しており。
ブラウン管越しに、映し出されるみたいな人だった。
年より若く見え、とても子供がいるなどと思えない。
そして地位とか、お金が大好きな人だった。
父親の生家は、大きなモノではないけれど資産家で。自身も、企業の重鎮でお金に困る暮しではなかった。
加えて、父の両親も既に亡く、他に兄弟も居なかった為。
保険金とか、財産の類は全部母親の手に渡った。
その所為なのか、母さんは嬉しそうだった。
人が死ぬ、というのがどういうことか。あの頃の俺には、イマイチ理解出来無かった。
唯、もう二度と父と会うコトは叶わないのだと。それだけは解った。
父が亡くなり、散々人任せに、放っておいた俺を。
否応なしに、面倒を見なくてはならない状況になり。
そうして、遺された時になって初めて。
自分の母親が誰なのかを、認識したような気がする。
俺のコトを必要としてくれない母は。
顔を合わせる機会が増え、俺が始めて貰ったモノは、拒絶の言葉だった。
他にも殴られたり、罵倒されたりもした。
「私は初めから、子供なんか欲しくなかったのに。」 「子供なんか遺して、逝くなら一緒に連れて行ってくれれば良かった。」 「遺されても、邪魔なだけ。」
そんな風に言われたのを、今でも鮮明に覚えている。
いつも笑顔でいるコトは、精一杯の虚勢で、唯一、俺に出来るコトだった。
母親に罵倒され、殴られても。笑えさえすれば、その行為は止んだ。
へらへらして、気持ち悪いと言われたけれど。
そうする以外他に、俺に出来るコトなんて、何一つなかった。
コレは母親に限らず、大抵の人間に通用する行為で。
大体のコトは、笑ってさえいれば、周りの人間は安心して、必要以上に構ってくるコトもない。
理不尽なコトを言われ、覚えの無い暴力を振われても。
自分がそれを受けるコトで、物事が滞り無く、穏便に片付くならそれで構わなかった。
必要とされない、必要としてくれる人が誰もいないのだから。
自分の価値も、存在理由も見出せない。だから、何もかも諦めた。
何より、俺を生んだ母親が、俺をいらないと言うのであるなら。
俺はそれに従うまでだった。
*
それから暫くして、母親は俺を残して出て行った。
新しく出来た恋人は、子供が嫌いらしく。それは母親も同様で。
俺の存在は、邪魔だからだと言っていた。
引き止めるコトも、泣いて縋るコトも出来ずに。
俺には唯、去り行く背中を黙って見送るコトしか出来無かった。
その背中に、小さく「さよなら」と呟いたけれど。
声は届くコトもなく、一度も振り返るコトはなかった。
一人、残された俺を慈恵館へと連れてきたのは、ずっと世話をしてくれた彼女だった。
手を引かれ、道すがらずっと無言だったけれど。
別れ際に、
「ごめんね、護ってあげられなくて、引き取ってあげられなくて、ずっと一緒に居てあげられなくて、ごめんね。」
そう言って。強く、抱き締められた。
何故彼女が謝るのか、俺には解らなかった。
謝るような、自分を責めるようなコトなんか、彼女は何一つしてないのに。
どうしたら良いのか、俺には解らなくて、困って。
抱き締められた胸に頭を寄せ、ぎゅっと服を掴み。それから一度、顔を離して、ありがとう。言って笑った。
そうしたら、泣かれてしまい。いよいよ途方に暮れた。
何度も何度も振り返り、立ち止まり。繰り返す彼女の姿を、見えなくなるまで見詰め続けた。
「さようなら」と、母親の時と同様に、消え行く背中に呟いた。
慈恵館に引き取られたのは、四歳の春。
父親が亡くなってから、半年が過ぎた頃だった。
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