There is no change in the fact it though known
that looking back on the past is useless.

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俺を望んでくれた人は、今はもうこの世にいない。

子供を欲しがっていたのは、父親だった。

母親と知り合った時、父には既に奥さんがいたらしいけれど。

その人は病弱で、子供を産めるような身体ではなかったらしい。

奥さんが病死して、母親は所謂愛人という立場から、正式な妻という立場になった。

そして、俺が生まれた。

だけど元々、母親は子供なんかを欲しいと思っていない人だったから。

俺を気に掛けたりしてくれるコトは、殆どなかった。

日中仕事で家を空ける父親に変わり、俺の面倒を見てくれたのは。

母親ではなく、ベビーシッターとか家政婦と呼ばれる人物で。

その所為か、彼女こそが自分の母親なのだと思っていた。

仕事が終わり、帰宅後や休日になると。

父親は何処かへ連れて行ってくれたり、遊んでくれて、面倒をみてくれた。

俺のコトを可愛がってくれたし、愛してくれた。

朧気ではあるけれど、今でもちゃんと記憶に残っている。

でも父さんは、俺が三歳の時に事故に遭い。帰らぬ人となってしまった。











母は、綺麗な人だった。

色が白く、身長もスラッと高く細身で。長く艶やかな漆黒の髪をしていた。

それがとても印象的だった。

派手に化粧をするわけでもないのに、人目を惹く。

着ている服も、どのような物を着れば自分に似合うのかを理解しており。

ブラウン管越しに、映し出されるみたいな人だった。

年より若く見え、とても子供がいるなどと思えない。

そして地位とか、お金が大好きな人だった。

父親の生家は、大きなモノではないけれど資産家で。自身も、企業の重鎮でお金に困る暮しではなかった。

加えて、父の両親も既に亡く、他に兄弟も居なかった為。

保険金とか、財産の類は全部母親の手に渡った。

その所為なのか、母さんは嬉しそうだった。

人が死ぬ、というのがどういうことか。あの頃の俺には、イマイチ理解出来無かった。

唯、もう二度と父と会うコトは叶わないのだと。それだけは解った。

父が亡くなり、散々人任せに、放っておいた俺を。

否応なしに、面倒を見なくてはならない状況になり。

そうして、遺された時になって初めて。

自分の母親が誰なのかを、認識したような気がする。

俺のコトを必要としてくれない母は。

顔を合わせる機会が増え、俺が始めて貰ったモノは、拒絶の言葉だった。

他にも殴られたり、罵倒されたりもした。

「私は初めから、子供なんか欲しくなかったのに。」
「子供なんか遺して、逝くなら一緒に連れて行ってくれれば良かった。」
「遺されても、邪魔なだけ。」

そんな風に言われたのを、今でも鮮明に覚えている。

いつも笑顔でいるコトは、精一杯の虚勢で、唯一、俺に出来るコトだった。

母親に罵倒され、殴られても。笑えさえすれば、その行為は止んだ。

へらへらして、気持ち悪いと言われたけれど。

そうする以外他に、俺に出来るコトなんて、何一つなかった。

コレは母親に限らず、大抵の人間に通用する行為で。

大体のコトは、笑ってさえいれば、周りの人間は安心して、必要以上に構ってくるコトもない。

理不尽なコトを言われ、覚えの無い暴力を振われても。

自分がそれを受けるコトで、物事が滞り無く、穏便に片付くならそれで構わなかった。

必要とされない、必要としてくれる人が誰もいないのだから。

自分の価値も、存在理由も見出せない。だから、何もかも諦めた。

何より、俺を生んだ母親が、俺をいらないと言うのであるなら。

俺はそれに従うまでだった。











それから暫くして、母親は俺を残して出て行った。

新しく出来た恋人は、子供が嫌いらしく。それは母親も同様で。

俺の存在は、邪魔だからだと言っていた。

引き止めるコトも、泣いて縋るコトも出来ずに。

俺には唯、去り行く背中を黙って見送るコトしか出来無かった。

その背中に、小さく「さよなら」と呟いたけれど。

声は届くコトもなく、一度も振り返るコトはなかった。

一人、残された俺を慈恵館へと連れてきたのは、ずっと世話をしてくれた彼女だった。

手を引かれ、道すがらずっと無言だったけれど。

別れ際に、

「ごめんね、護ってあげられなくて、引き取ってあげられなくて、ずっと一緒に居てあげられなくて、ごめんね。」

そう言って。強く、抱き締められた。

何故彼女が謝るのか、俺には解らなかった。

謝るような、自分を責めるようなコトなんか、彼女は何一つしてないのに。

どうしたら良いのか、俺には解らなくて、困って。

抱き締められた胸に頭を寄せ、ぎゅっと服を掴み。それから一度、顔を離して、ありがとう。言って笑った。

そうしたら、泣かれてしまい。いよいよ途方に暮れた。

何度も何度も振り返り、立ち止まり。繰り返す彼女の姿を、見えなくなるまで見詰め続けた。

「さようなら」と、母親の時と同様に、消え行く背中に呟いた。



慈恵館に引き取られたのは、四歳の春。

父親が亡くなってから、半年が過ぎた頃だった。






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(2006.4.29)