それは魔家四将との決戦から暫く経った、とある日の出来事。





【噂】






「天気も良いし、久し振りに城下にでも繰り出してみるかな。」

そう言いながら回廊を歩いてきたのは、この国の王、武王こと姫発だった。
本来王という立場にある彼はこの時間執務室で仕事中の筈である。
そんな彼が浮かれ気分で歩いているのは、例によって例の如く、隙をみて執務室から脱走を計ったからのようだ。
そんな彼はどうやらこれからサボりを決めつけたらしい。
城下に行って何をしようかとあれこれ考えながら歩いていると、後ろから声がかけられた。

「また仕事サボってふらふらと、何してるさ。」
「ッ?!」

突然の声に脱走したことがもうバレたのかと一瞬びくっとする。
恐る恐る振り返った先に居たのは姫発の護衛役でもある天化だった。

「天化・・・。」

ほっとして安堵の溜息と共に彼の名を呼ぶ。
そんな姫発の姿に天化は笑うと、姫発の側まで駆け寄ってきた。

「仕事サボって抜け出したのがバレタと思ったさ?」
先程の様子を思い出し可笑しそうに天化が話しかけてくる。
「おう、旦のやつにもう脱走したのがバレタのかと思ったぜ・・・。」
彼の優秀な弟周公旦に見つかったのであれば、ハリセンの制裁を受け且、執務室へと強請連行である。
やっとの思いで執務室から逃げてきた訳だからそれは姫発にしてみれば勘弁願いたい避けたい事態なのだ。
まあ最も自分が王という立場で、きちんと仕事をするのは当然のことであるのだが。
しかしどうにも自分にとって都合の悪いことは頭の中からキレイに削除されてしまう構造らしい。
なんとも都合の良い頭である。
「折角久しぶりに天気になったんだしよ、静に仕事なんかしてる場合じゃねぇよ。」
と、これまた自分勝手な理論を述べる。
下で働く人間の身になれば大変迷惑な話である。
しかし彼の頭には既に仕事のことなどこれっぽっちも考えるスペースはない。
そして先程述べたように久し振りの晴天なのである。
ここ最近何故だか天気が悪かった。
梅雨でもないのに、それはじめじめと湿っぽく鬱陶しいどんよりした日が一週間ほど続いていた。
その間中外に出る事も叶わず、執務室でずっと仕事に励んでいたのだ。
たまに文句を言ってハリセンの制裁を受けていたりするのだが、敢えてその辺は伏せておくことにする。
そんなことがあったりしたが、取り合えず姫発は真面目に執務室で仕事をしていた。
こう言ってはなんだが、仕事熱心ではない彼にしては奇跡に近い事態である。
本人に言ったら怒ることは目に見えているので黙っているのだが。
実は彼が真面目に仕事をした所為で、あんなに天気が悪かったのではないかと。
天化は、心密に思うのであった。
顔に似合わず彼も中々手厳しい、酷い人間である。
心の中で、姫発に対してかなり酷いことを考えているのだが。
そんな素振りは微塵も表には出さず、返事代わりに曖昧に笑って答ておく。
それに自分が姫発に反論したところで、彼が仕事に戻る気もないであろう。そのことは天化も充分承知していた。
言い出したら聞かないところがある彼のこと。何より無駄というのは既に経験済みなのである。
立場上彼の護衛役を務めている天化は、姫発に付き合わされるのか。
ぼんやり考えていると、それには気付かないのか構わず姫発は話し始めた。

「大体よぅ、旦に太公望、それからえぇっと・・・・。なんだったっけ・・・?」

ん?と視線を姫発の方へと向けると

「ほら、最近こっちに下りてきたっつーう天才。」

と言い、名前が出てこないのか姫発は腕を組んでうんうん考え込んでしまった。
最近下りてきた天才などという人物はこの周において一人しかいない。

「楊ゼンさんさ?」



恐らく説明は不要かと思われるが一応述べておくと。

―楊ゼン―

清源妙道真君という仙人名を持ち、容姿端麗・頭脳明晰・実力も兼ね合わせた。
仙人界でも一目置かれるという存在。
魔家四将戦後正式に周へと下りてきて太公望の補佐をするようになった天才道士のことである。



「あいつがいりゃあ、別に俺がいなくても仕事に問題ないだろ?」
「確かにそれは王さまが居ても邪魔になるだけさね。」

天化の即答に姫発は顔を引き攣らせる。
確かに的を得た解答ではある。が、こうズバッと言ってくる人間も珍しいものだ。
その物言いは天化の良い所の一つではあるのだが、少々傷付いた姫発であった。
しかし悲しいかな真実なだけに姫発は反論の余地がこれっぽっちもないのである。
何より天化も仕事に戻るように、と諌められたことが何度かある前科持ちなのだ、自分は。
自分で言ったことではあるが、些かバツが悪くなんとも居心地が悪い。ついでに気分も急下降する。

「お前も最近、物言いがキツクなったよな・・・。」

せめてもの反論、とばかりに恨めしそうな視線を天化へと送る。
そんな視線に対して、天化は別段気にした風もなく軽く受け流す。
軽くやり取りをしていたが、ふとここが回廊の真ん中であることを思い出す。
別段誰も通ることはないのだが一応通路である。
いつまでもこのような所で話し込んでいるわけにもいかないので、未だショックなのかがっくりと頭垂れてる姫発を促し歩きだす。
お互い黙々と、しかし時折隣の姫発の口から溜息が発せられたりしたが、二人連れ添って歩いていた。
漸くショックから立ち直ったのか姫発がポツリと言葉をもらす。

「なんか最近、皆して口煩くなったよなぁ。」

その口調はショックが抜けきれていないのか、どこか暗いものを含んでいた。
姫発の言葉に天化は答えず視線だけを向ける。

「皆っつっても人は限られてるけどよ、前までなら旦だけだったのにな。
 なんか最近は太公望のやつも旦程とは言わねーけど煩くなったよな。
 少し前まではあいつも結構、仕事サボったりしてたくせによ。ったく何があったんだかな。」

確かに以前の太公望は姫発程ではないにしろ、仕事を抜け出してサボっていた。
それがここ最近全くと言っていいほど彼はサボらなくなった。
朝議にも遅刻することなく出席しているし、仕事中無駄な話しもしなくなった。
人が変ったように真面目に毎日仕事をこなしている。姫発がそう感じるのも無理はない。

「ああ〜・・・。」

天化は文句を聞きながら曖昧に返答する。

「そうさねー、俺っちも話に聞いてはいたけどあの噂はホントだったさね。」

そう言うと、天化はぴたっと歩くのを止める。そんな天化の言葉に姫発も足を止めた。

「何だよ、あの噂って?」

先程まで落ち込んでいたのが嘘のように、打って変わり興味津々といった顔を姫発は天化の方へと向けた。
変わり身の早さも天下一品な姫発である。

「噂ってのは、仙人界で知らない人がいないっていい程有名な噂だったさ。」

もったいぶった口調に早くしろ、という視線を天化に向ける。
そんな姫発を横目に天化は指をびしっと突き出すと。

「師叔が楊ゼンさんのこと好きだっていう噂さ。」

ずばりっと、そう言った。




***





天化の答えに対し姫発は、端目から見ても分かるくらい間抜けな表情になる。
イマイチ事情が飲み込めていないのか頭の上に?マークが浮かんでいるようだ。
暫く間を置いて、頭の中で天化の言葉を何度も半濁し意味を理解したのか

「マジで?」

それだけ言うと天化の方を向いた。
姫発の問い対して天化は肯定するように一度、こくりと頷いてみせる。
そうして天化は、噂について詳しく話しをした。
説明を要約するとだいたいこんな風だ。



楊ゼンは一目見ただけで分かる通り、容姿もズバ抜けており何処へいても、男女問わず自然と目を惹くものがある。
それは今現在の周に置いても同様なことがいえており、女官達がきゃーきゃー言っているところを姫発もよく目にしていた。
仙人界でも、女仙や道士達の間で囁かれ合うことは日常茶飯事で、当然なことであるらしい。
そしてそんな彼女達に太公望も混じっているらしいというものだった。
どうやら太公望はかなり耳聡いらしく、楊ゼンの話をしていると、いつの間にかその場に居て会話に参加してるらしいのだ。
それだけに留まらず、なんと楊ゼンには”ファンクラブ”なるものまで存在するらしい。
しかもそのファンクラブの会長をしているのが太公望だというのだ。

さすがにそれには姫発も驚いたらしく絶句する。

「まぁ俺っちも聞いたことがあっただけだったし、半信半疑だったさ。
 でも今の師叔の行動見てたら噂はホントだったってことさね〜。」

うんうん頷きながら、天化は一人納得しているようだった。
対して姫発の方はというと。

「でも、それと太公望のやつが真面目に仕事するようになったのとどんな関係があるんだ?」

イマイチ解らんと言わんばかりに、首を傾げた。

「そりゃやっぱり好きな人の前じゃ自分をよく見せようとするもんじゃないさ?」
「あぁ・・・、成る程な、そういうことか。しっかし結構以外だよな〜、太公望って案外めんくいだったのか。」

あっさり納得したらしく、併せて自分の正直な感想を述べた。
その答えに天化は、そんなことはないのではないか?と思う。
仙人界には、美仙女といわれる純血の仙女、竜吉公主を始め、他にも綺麗な仙人・道士はいる。
しかし太公望が興味を示しているのは楊ゼンに限られている。
というよりも太公望の場合は、楊ゼン以外の人間は眼中に無い状態だ。
まあ顔も好きな要因であろうが、それ以外に楊ゼンという人物に惹かれる何かがあるのではないだろうかと天化は思っている。
思っているだけで、やはり口にすることはないのだが。

「確かに楊ゼンって美人ではあるよな〜。男の俺から見てもそう思うけどよ。」
「そうさね、それに王さまは楊ゼンさんの変化に何度も騙されてるし。」

天化にそう言われ、またしても自ら墓穴をほる姫発であった。
しかし今回は顔が多少引き攣りはしたものの、なんとか冷静さを装う。

「でもよ、俺的には楊ゼンってさ。あいつが来てから、ぷりんちゃんは皆あいつのことばっか見てるしよ〜。」

一端そこで言葉を切ると、少し声のトーンを落としボソっと本音をもらす。

「ちょっと憎らしいよな。」

するとその言葉に過剰に反応し天化は慌てた。

「お、王さま、ダメさそんなこと言った・・・ッ?!」

が、天化の口から言葉が最後まで発せられることはなかった。
何故なら天化の言葉をかき消す様にびゅっ!!っと二人の間を一陣の風が通り抜けていったからだ。
そして同時にどごっと何かが壊れる音がする。
音の聞こえた方向に二人が目をやると、ぱらぱらっと煙を上げて、壁が崩れて半壊していた。

「「・・・・・・。」」

その様子にお互いの顔を見合わせる。
恐る恐る風が吹いてきた方へと顔を向けてみる。
と、視線の先に立っていたのは太公望であった。
呆然としている二人を余所に、何事もなかったかのように太公望は歩み寄りながら、普段通りに話しかけてきた。

「こんなところで何をしておるのだ?」

ぼーっとしていた姫発と天化だが、太公望のその一言に我に返る。
近寄ってくる太公望に思わず一歩後ず去ってしまう二人。
が、なんとか踏み留まるとぼそぼそと太公望に聞こえないよう会話を交わす。

『い、今のってまさか太公望か?』
『絶対そうさッ!!他に誰がいるっていうのさ?!』

二人の様子に全く気にすることなく目前までくると、太公望はぴたりと歩みを止め、姫発と天化の交互にを見やった。
ただ見られただけなのだが、いつも感じることのない空気を纏っている太公望に、知らず全身に緊張が走り思わず身構える。
ぴりぴりとした空気の中、姫発はごくりと唾を飲み込んだ。
反して、太公望はふうっと溜息をつくとおもむろに口を開いた。

「全く、仕事を途中で放り出したと思ったら、こんな所で天化と二人して何をしているのだ?」

二人が思っていたこととダイブ違う太公望の台詞に一瞬気が抜ける。
その一瞬の隙に太公望の口からはお説教じみた小言が続けられた。
うげっ、っと思う姫発だが下手にいい訳をしても長くなるだけだと考えたのか、ぐっと堪え大人しくしていた。
暫くすると、一通り言い終えたのか

「ちゃんと仕事に戻るのだぞ。」

最後にびしっと指を差し念を押すと、予想外にもあっさり解放された。

「分かったよ・・・。」

渋々ではあったが、思っていたよりも早く解放されたので素直に返事を返す。
そして先程感じた緊迫感は単なる取り越し苦労だったのか。と、二人の全身から力が抜ける。
お互いにどっと疲れたような気分だ。
説教も終わったのならば、さっさとこの場から離れたい。
本来ならばサボリを決め込んでいたわけだから、城下へと繰り出したいところであった。
しかし城を抜け出す前に太公望に見つかってしまった以上。
ここで執務室へ戻らなければ彼の最も苦手な弟に告げ口をされ、ハリセンと説教の制裁を頂戴することになる。
極度の緊張で疲労を感じていただけに、これ以上は勘弁して欲しい。
仕方なく執務室へ戻るべく天化を伴い、今歩いてきた回廊を引き返そうと身を翻した。

「ところで・・・。」

と、二人が身を翻すと、タイミング良く太公望が話しかけてきた。
まだ何かあるのか?と立ち止まり二人は顔だけを太公望の方へと向ける。
すると先程とは打って変わり、太公望はニコニコと笑顔を向けていた。
顔は笑っているのだが、目がちっとも笑っていない。なんとなく嫌な予感が二人の脳裏を過ぎ去っていく。

「おぬしら、先程楊ゼンの話しをしておらなかったか?」

予想通りの展開に、びくっと二人の顔が引き攣り、身体が大きく強張る。
先程の会話中、回廊には姫発と天化の二人しか人の気配はしていなかった。
それなのに一体何故そんなことを太公望が知っているのだ?!
驚きを隠せない姫発。
変わって天化の方は心なしか目が泳いでいるようだ。
しかも心なしか顔色が悪く、サーッと顔から血の気が引いたような感じがしている。

「楊ゼンの話し、というか悪口とも聞き取れるような・・・。」

そう太公望は言い放つ。相変わらずその顔は笑顔だが目が笑っていない。
そんな表情に、普段のほほんとお調子者のような顔をしているようにみえる太公望。
怒った所で怖くはない、などという勝手な思い込みをしていた姫発は正直恐怖を感じていた。
本当に怖いのだ、太公望の表情は。
いや、表情のみならず全身から殺気だったようなオーラを放っている。
そんな太公望に姫発もスーッと全身から血の気が引いていくのが分かった。挙げ句顔や背中からは変な汗がツーッと出てくる。
まさに状況は蛇に睨まれた蛙。
あまりの怖さに何も言えない状態だ。
それでも殺気だったオーラを全身に纏った太公望に、なんとか天化が言葉をする。

「お、俺っち達がそんなこと言うはずないさッ!!!」

そう言った天化の表情にも余裕はなく、必死な形相をしている。
その言葉に同意を求めるよう天化は姫発の方へと視線をやる。
途端、姫発もぶんぶん頷ずきながら

「そ、そうそう、あんな凄いやつの悪口なんか言うわけないだろ!!」

なんとか、それだけを口にした。
本当かのう?というように二人を見つめていた太公望であったが、
二人の必死な様子に納得したのか全身から放っていたオーラがほんの少し柔らいだ。
だが、未だに疑っているらしく目元は普段より厳しいままである。
そんな太公望にどうすることもできず只びくびくと怯える姫発と天化。
端からみると非常に可哀想で気の毒な様子である。
険悪な空気が充満した回廊の一角。
だが、突然それは破られることになる。
姫発と天化にとっては、天の助けともいえるであろう第三者の登場。
躊躇いなく、険悪な空気を気にせずにその声は掛けてきた者は。

「太公望師叔、こんなところに居らしたのですか?」

その声に、ただ怯えることしかできなかった二人はばっと振りかえる。
振り返った顔の先、そこに居たのは渦中の人、楊ゼンだった。

「楊ゼンッ!!!」

楊ゼンの登場により空気がいっきに和む。
見ると太公望の後には花でも飛び散らんばかりの勢いだ。
屈託なく微笑むと、太公望は楊ゼンの傍へと駆け寄って行く。
楊ゼンもそんな太公望に笑顔を向ける。

「突然仕事を抜け出して居なくなるから心配しましたよ。」
「む、それはすまぬ。」

楊ゼンの言葉に太公望はしゅんとなる。
その態度に反応したのか、先程までぴんっとしていた頭巾の先がぺたりと下がる。
「「それは耳なのかよ!?」」と姫発と天化は同時に、心の中で小さくツッコミを入れた。

「ふふ、今後は用事がある場合はきちんと言ってから行動して下さいね。」
「うむ。」

そんな楊ゼンの言葉に素直に返事をする太公望。
頭巾もいつも通りに戻っていた。
そうして執務室に居る筈の楊ゼンがここに居ることに太公望も疑問を持ったのか

「そういえば楊ゼン、何かわしに用があったのではないか?」
「ええ、少し師叔に聞かないと分からない個所がありまして。」

それで探していたんです、と言いニッコリ微笑んだ。

「む?それは悪いことをしたのう。では早速戻るか。」
「そうして頂けると有り難いです。」

などと二人は姫発と天化のことなど忘れ去って会話をしていた。
大人しくそのやり取りを静観していた姫発。
『今なら逃げられるのではないか?』と考える。が、世の中そう上手くいくものではない。

「ではわしらは執務室へ戻るか。姫発、おぬしもちゃんと戻ってくるのだぞ。」

去り際にしっかり釘を刺される。
こういうところは流石と言うべきか、先手を打たれてしまってはどうしようもない。

「分かってるよ・・・。」

姫発は力なく頷いて答えると太公望と楊ゼンを見送った。
そんな姫発の様子に、楊ゼンはクスッと笑うと何事か告げて太公望の後に続き執務室へと戻って行った。





***





二人の姿が見えなくなると緊張の糸が切れたのか、手摺に寄り掛かり回廊に思わず座り込む。
暫くの間そうしていると落ち着いたのか天化が切り出した。

「ダメさ、王さま。楊ゼンさんの悪口じみたこと言ったら。」

ん、と俯いていた顔を上げると、天化はいつになく真剣な表情になり先を続ける。

「師叔は楊ゼンさんのことになると異様なまでに地獄耳になるさ。滅多なこと言ったらさっきみたいな目にあうさ。」
「よく分かったよ、今後は気ぃつける・・・。」

身を持って体験しただけに、いつになく姫発も素直に返事をした。
本当に先程のような目にあうのはお互いに絶対回避したい。
二人は顔を見合わせると無言で頷きあった。

「ところでよ・・・。去り際に言ってた楊ゼンの言葉。」

太公望が姫発達に背を向け、執務室へと歩き出した直後、楊ゼンは何事か言っていたのだ。
それは言葉にこそされることはなかったが、口の形でなんと言ったのか伝わった。

「天化、お前どう思う?」
「どうって・・・。」

姫発の問いに天化は黙り込む。
楊ゼンが告げた言葉、それは

『とんだ災難でしたね。』

というものであった。
どういう意味で楊ゼンがこの言葉を口にしたのかは分からない。

「あいつ、全部知ってるのか・・・?」
「う〜ん・・・、まあ仙人界で有名な噂だったわけだし。楊ゼンさんが知ってても別におかしくないことさね。」
「・・・・・・今度、確かめてみるか?」

太公望の行動全てを知った上で、楊ゼンのあの態度なのか。確かに非常に気になるところである。
もしそうであるとするならば、あの絶妙なタイミングで話しかけてきたことも、楊ゼンにとっては計算のうちだったのであろうか。
そうであるならば、いろんな意味で、彼の天才という所以はその辺りにあるのかもしれない。
凡人である自分には、天才さまが何を考えてあのような行動にでているのか、全く検討もつかない。
とりあえず、そう言って姫発は立ち上がる。

「真相は今度確かめるとして・・・。楊ゼンの話をす時は要注意だな。」

天化も無言で頷くと、立ち上がった。

「さて、しょうがねーから仕事に戻るか。」

そう言い今度こそ執務室へ戻ろうと、身を翻した。
が、またしても姫発は身体を強張らせることになる。
振り返った先にはなんと、ハリセンを携えた彼の最も苦手とする弟、周公旦が立っていたのだ。

「小兄さま、探しましたよ。」

静に、低く、だがよく通る声で話しかけてくる。
周公旦の様子に姫発は焦る、そして必死に取り繕うように

「ま、待て落ち着け、旦。仕事を抜け出したことは謝る、今から戻るとこだったんだし。許してくれ、な?」

今日何度目になるか分からないが、顔を引き攣らせながら、本当に必死な様子で問いかける。
しかし問答無用、とばかりに周公旦のハリセンが姫発を襲う。

「いい訳は無用です、今日は仕事が終わるまで執務室から一切出しませんからね。」

そう言い、姫発の首根っこを掴むと、引き摺るようにして執務室へと歩き出した。

「ぎゃーーーッ、それだけは勘弁してくれよ〜・・・。」

半べそになりながら、必死に懇願する姫発。勿論その願いは届くことはない。
だんだんと小さくなっていく姫発の姿を見ながら、残された天化は一人、憐れな姫発に心の中で合掌する。



武王、姫発。彼の今日の運勢は最悪だった。
しかも悲しいことに今日はこれからまだまだ長い。
どんな状況にも負けず、今日をいう日を乗り切ってくれることを、只々祈るばかりである。










fin.