『あなたにとって幸せとはなんですか?』



それは何気なく問い掛けられた質問。










【幸福論】










幸せというものには形があるわけではない。
形が無いから目に見えたりすることもなく、手に取ることも不可能である。
そしてそれは一人一人によって様々なもの。
他人が幸せだと感じたからといって、必ずしも自分がそうだとは限らない。
なら自分にとって幸せというものは一体どのようなものなのであろうか?



自分の中に生じた些細な疑問。
今の自分にとって幸せというのは・・・。





***





自分は幸せなどになってはいけない存在だと思っていた。
一族全てを失い、自分一人だけが生き残った。
そのことに対する罪悪感か
あるいは何も出来なかった無力な自分に対する憤りか。
兎に角、自分一人だけが幸せに、普通の暮しを送るわけにはいかない。
例え失った全ての人達がそれを望んでくれていたとしても。
自分はあの日から「復讐」という言葉を糧に生きてきたのだから。
そう、それは己の心の奥深くに潜む闇。
          
          
 
         
『―・・・幸せなど自分には縁のないもの・・・―』
          
          
『―・・・一族皆の仇を取る・・・―』



只それだけのために自分は生きてきた
そのためだけに自分は生かされているのだから・・・、と。





***





しかし現実というものは
誓いや意思など脆いものなのだ・・・。



人間という生き物は忘れていく生き物である。
どんなに辛く哀しい記憶であろうともそれは同じことで
時間(とき)が経つにつれて次第に、ゆっくりと。
だがそれは確実に。
鮮明だったものが色褪せて、やがて風化していくように。
だからといってあの日の事を
仇を取るということを忘れたわけでは決してない。
いや、忘れろと言われても多分一生、死ぬまで自分は忘れることはないと思う。
忘れることなどできるわけがない・・・。



それでも自分は掴んでしまった。
望んでしまった、選んでしまった、手に入れてしまった。
暖かくて心地よい、ひどく安らげる場所。
もう二度と手に入れることはできないと思っていたもの。
そしてそれはとても手放し難いもの。



『楊ゼン』
 


あやつの傍にいるだけで
あやつの微笑った顔を見るだけで
あやつのことを考えただけで自分は・・・




自分は、
幸福だと、幸せだと思ってしまう。
本当はずっと望んでいたのだ。
心の奥底で、ずっとずっとずっと・・・。
全てを失ったあの日から。
ずっと望んでいた、欲していたのだ。
幸福(しあわせ)を、心安らぐ場所を。
傍に居てくれる誰かの存在を。



『なら、自分にとっての幸せとはあやつが傍にいることなのだろうか?』



それも恐らく間違いではないと思う。
間違いではないが、はっきりそうだと断言できるものでもない気がする・・・。
それならば一体自分にとって幸せというものはなんなのであろうか? 



あやつの傍に居ることはとても幸せだが、同時に不安でもある。
そう、いつかあやつを失ってしまうのではないかという恐怖。
それは彼の存在がこの世から消えてしまうことだけを指し示している訳ではなく
自分以外の誰か別の人間の元へ行ってしまうということも含めて。
きっと自分は畏れている、不安に思っている。
失った時の喪失感を知っているだけに・・・。

あやつの存在がこの世から消えてしまったら、自分は彼の後を追うのだろうか?
いや、そんな気力が果たしてあるのかどうか。
それならあやつが自分以外、別の他の誰かの所へ行ってしまったら?



あやつが自分以外の他の誰かに笑顔を向ける。
あやつが自分以外の他の誰かに優しい言葉を掛ける。
あやつが自分以外の他の誰かに触れる。
あやつが自分以外の他の誰かの傍にいる姿など見たくない。
絶対に!!        
そう、絶対に・・・。





でも・・・





この世に絶対などというものが存在しないということを自分は知っている。
そして自分はあやつの心を留めておく術を知らない。
だからこそより一層不安になる。
幸せだという思いと、いつか失ってしまうのではないかという思い。
果たしてどちらの思いが大きいのだろうか。



あやつの心を自分自身に留めておく術を知らない
それなら、
それならば、もし・・・
もしもおぬしがわしの元から離れたいと思うようになったなら。
その時は―・・・



わしが気づかぬうちに、そっと。
わしが好きなおぬしのその綺麗な手で
わしの時間を存在を
この世から終わらせて欲しい。
そう思う。


       
嗚呼、
それこそが。



『おぬしの手に掛かってこの生に終止符を打つことができるのであるならば。』



その時わしはおぬしだけを見つめ
おぬしもまた、わしだけを見つめ
その時わしの心はおぬしでいっぱいになり
おぬしもまた、わしのことでいっぱいになる 
その時わしの温もりはおぬしのものとなり
おぬしの温もりはわしただ一人だけが感じられる
   
そうして



『わしはおぬしの手によって永遠のものとなる・・・。』



嗚呼、
それはなんという甘い響き。
なんて甘美な誘惑であろうか。


それこそが
その僅か一瞬ともいえよう時間こそが
わしにとって本当の、





本当の―・・・










「幸せ・・・」









fin.