昔から喜怒哀楽という感情が、あまり顔に出ない子供だった。
嬉しくない、とか。楽しくない、哀しくないという訳ではなく。
あくまでも唯、表面に出ないだけであって、心の中では盛大にリアクションをしていたりする。
その後もこのまま成長し、親の仕事の都合で大阪へと転校するコトになった。
こうして四天宝寺へ転校して、三年目を迎える。





私にとって四天宝寺は、あらゆる面において衝撃的だった。
まず、校則からして普通の学校と全く違う。
ボケたら突っ込む、というのがココでは普通に繰り広げられていて。
関東圏在住だった私には、当然そのような芸当が出来るわけもなく。
出来たら出来たで凄いし、知られざる才能があったのかな。なんて自画自賛していたかもしれない。
日常風景として繰り広げられる現実に呆然とし、唯々、戸惑いを覚えるばかりだった。
勿論、表面上は冷静な顔をしており、心の中で盛大に戸惑っていた訳だが。

今思えば恐らく、その反応がいけなかったのだろう。
何のリアクションもない私に対し、当時のクラスメイト達は。
クールだとか、笑わない所為なのか、お笑いに対して厳しい人だとか。
何故だか、そのような認識を持たれた。
それはいつの間にか、私の与り知らぬところで他の人達にも浸透して行ったらしく。
最早キャラ、立ち位置が出来上がってしまっている。
しかし是等の見解は、大いに間違いであり。
クールでもなければ、お笑いに厳しいわけでもない。
何度も言うが、私のは単に、顔に出にくいだけなのだ。
それを一般的に、クールと称するのかもしれないが。
表面的なだけであって、心中では激しくリアクションをしているのだから、私には当て嵌らないと思う。
どちらかというと私は、明るく積極的な性格をしている訳でもなく。
友人がいない訳ではないが、あまり会話に加わるコトがない。
黙って聞いているコトの方が多い。
大体、四天宝寺の人達は皆、饒舌で。会話に加わるタイミングが掴めない。
話を聞いているだけで、充分に面白いし。
別段、私が話さなくても良いか。という気になってしまうのだ。
まあ、そうした性格も災いしているのだろうが。
その他大勢に紛れて目立たない、地味眼鏡。
それがという人間であると、私自身は自分をそう認識している。
とはいえ正直な話し、このままではいけないという思いも抱いていたりするのも本音だ。
けれど同時に、感情が表に出ない(笑わない)キャラという地位を確立?している私は。
それを壊してはいけないのではないか?
周囲の期待?に背くようなコトをしてはいけないのではないだろうか・・・。

一つの案として、卒業するまではこのままで、その後に変えていく。
というのが、一番妥当なのかもしれない。流行り?の、○○デビューというやつだ。
そうはいっても、四天宝寺を卒業した後。
私のコトを全く知らない人だけが通う学校など、果たして存在するのだろうか?
数は少なくとも、何人かの生徒は同じ学校に居るだろうし。
その人達に、『アイツ変わったな』等とアレコレ思われる方が、よっぽど恥ずかしい気がする。
こうして結局、答えは未だに出ずにいる。





そもそも、このままではいけないと思ったきっかけは、ある人物が関係している。
何というか、憧れとか尊敬、目標ともあんな風になれたらなと思える人で。
名前を、一氏ユウジくんといい、初めて同じクラスになったクラスメイトである。
一見、ちょっぴり目付きが悪く、恐い印象も否めない所が無きにしも非ずなのだが。
けれどそれすらもカバーして覆し、且つ、お釣りがくる位にとても面白い人である。

常に妥協するコトなく、新しい笑いを追求する姿勢。
そして完璧なまでに完成された、モノマネの数々。
彼の周りには人が集まり、輪の中心にいる。
例えるなら、明るく眩しい太陽。
日陰の片隅にぽつんと目立たず存在する私とは、まさに天と地ほどの差がある。

今もまた、新作のモノマネを披露している彼の周りでは、笑顔を浮かべているクラスメイト達の姿。
当然のコトながら、私はその中に入れるわけもなく。
自分の席に付き、遠目に彼等の姿を眺めている。
勿論、一氏くんと話しをしたコトもない。
尤も、眩しすぎる存在なので、あまり近付き過ぎずこの位の距離感が丁度良いというのもあるが。
しかしどのようにしたら、あんな風になれるのだろうか。
否、いきなりモノマネとかが出来るわけでもないし。
あそこまで辿り着くのに、並々ならぬ努力等も怠らずしてきたのだろうから。
私なんかが、一朝一夕で出来る様なモノだとも思ってはいない。
そもそも、人気者である一氏くんと私みたいな人間を比べるコト自体が間違いであり。
おこがましいにも程がある、と言えるだろう。
そう思い、自分のあまりのダメさ加減に、自然と盛大な溜息が零れた。

このままでは、気分が下降する一方で午後の授業にも支障を来しそうなので。
気分転換を兼ね、鞄から文庫本を取り出し広げた。

私は何も、人気者になりたいわけではない。
もう少し明るく、あと感情を表に出せるように・・・。それが出来れば、充分なのだ。
その為にはまず、積極的に自分から他の人に話し掛けるとか、行動を移さなければいけない。
だがしかし、果たしてそれが私に出来るのか甚だ疑問だ。

それにしても、天と地ほどの差がある人物を、くん付けで呼ぶのは如何なものだろうか。
もっとこう、相応しい呼称があるのではないだろうか?
さん? 様? 殿とか??
うーん・・・、どれも今ひとつな感じがする。もっとこう・・・・・・。
一氏、一氏、一氏。
一氏ユウジ・・・、一氏、ユウジ、ひとうじひとうじ、ひとうじゆうじうじ・・・氏神。
氏神様なんてどうだろうか?
・・・うん、なかなか良い気がする。
尊敬と敬意を表してる感じが出ているし、何だか神々しい。
これから一氏くんのコトは、氏神様と呼ぶコトにしよう。
・・・勿論、心の中での話しだが。

兎も角、氏神様のようにはなれなくとも。
モノマネ、というのは。大きくいえば、人を変える=自分を変えるというコトな訳で。
よく解らないが、モノマネの極意は、相手をよく観察するコトにあると思う。・・・・・・多分。
観察するなんて行為は、何だか気が引けるというか。申し訳ないような。
別段、悪いコトをするわけでもないのだが。
だがしかし、自分改革の為、これから氏神様の観察をしようと思う。






2012.05.25