早いモノで、私が四天宝寺へ転入して随分と経つ。
未だに、馴染みきれてはいないけれど。
寧ろ、馴染みきるのは無理なのだと、早々に諦めた部分もある。
長年生まれ育ってきた環境の中で、培ってきた習慣等。
こうしたモノは、簡単に変わるモノでもないし。
ある種、無意識や、条件反射的なモノである部分。
それを無理に変えた所で、違和感があるだろうし、ぼろが出るのが落ちだと思う。
だから馴染むよりも、慣れる方が早い気がした。
尤も、私が気にする程、日常生活に支障を来す訳でもなかったし。
周りの人たちも皆、親切で優しい人達ばかりだった。
こうして順風満帆に、学校生活を送れるのは、そうした人達のお陰とも言える。
唐突に、ぼんやりそんなコトを考えていたら、それなりの時間が過ぎていた。
教室を見回せば、既に人影も無く。
このまま残っていても仕方がないし、帰ろうかと立ち上がった矢先、担任が教室に顔を見せた。
そこで明日の授業で使う資料を作ってくれ、と仕事を申し付けられ。
帰ろうと思っていたが、今更急ぐ用事も無いし。
プリントの束を受け取り、再び席に着いた。
クラスの人数分ある、何種類かのプリントを折り、ホチキスで留める。
単純作業だが、一人でこなすのは、地味に時間が掛り。
全てが終わり、プリントを担任に渡し、教室へ戻ると五時半近くになっていた。
普段よりも、かなり遅い帰宅時間。
この時間まで、学校に残っているコトは殆ど無く。
夕陽が差し込む廊下を歩きながら、こんな光景もある意味、新鮮だなと思った。
この時期になると、日が沈む時間もダイブ早まり。
今はまだ夕陽が照らしているけれど、あと少しも経たない内に日は完全に沈むのだろう。
そんなコトを考えながら、昇降口を出て少しした所で。ふいに、声を掛けられた。



名前を呼ばれ振り返れば、そこには一氏くんの姿があった。

「一氏くんも、今から帰る所?」

「そうや、もか?」

「うん、偶然だね」

周りを見遣るも、一氏くん以外には誰も居なかった。
私の中で、一氏くんと言うと、何となく金色くんとセットなイメージが強い。
帰るにしても、例えば他のテニス部の人達が一緒でないのも珍しく思えた。

「小春は、家の用事があるとかで先帰ったんや。他の奴等は…、いつも一緒に帰ってるわけやないし」

成る程。確かに、四六時中、一緒に居る訳でも無いか。
たまには、一人になりたい時だってあるだろうし。
前に階段から落ちた時も、一氏くんは一人だった。

「一氏くんの家は、こっち方面なの?」

「おん、もそうなんか?」

そうだったのか、知らなかった。
何処に住んでるのか、なんて話したコトも無かった。
ましてや、帰宅時間が同じになるコトも今まで無い。
だから知らないのも、当然と言えば当然かもしれないが。

「ほな途中まで、一緒に帰らん?」

「うん、一緒に帰ろう」

断る理由も無いし、一氏くんと一緒に帰るコトになった。















こんな風に、一氏くん並んで歩くのも、二人だけになるのも初めてだ。
私達はクラスも違うし、日常生活を送る上で、その様なシチュエーションになるコトの方が難しい。
そう考えると、あの階段落ち以来と言える。
何となく、感慨深いなー。なんて思っているとお腹の鳴る音が聞こえた。
一瞬、自分のお腹が鳴ったのかと思ったが。
気まずそうな表情を浮かべた一氏くんの姿が、視界の端に移った。

「一氏くん、お腹減ってるの?」

「…ま、まあな」

「そっか、テニス部は練習大変そうだし、お腹も空くよね」

練習を見に行ったコトは無いけれど、テニス部は全国区の実力を持っている。
それを考えれば、大変であろうコトは想像に容易い。

(うーん…、何か食べ物とか持ってたかな?)

考えてはみるも、基本的に私はお菓子の類を持ってくるコトはしないし。
精々あったとしても、ガムとか飴ぐらいのモノだ。
何の役にも立てず、申し訳なく思っていると、ふとあるコトを思い出す。

「あ、そういえばカップケーキがあるけど、食べる?」

「カップケーキ?」

「うん、今日調理実習で作ったんだけど」

そうだった、調理実習が今日あったのをスッカリ忘れていた。
作り終えたカップケーキは、調理後その場で食べもした。
けれど人数分、きっちりとした数を作る訳ではない。
まあ、材料は一応、人数分で計算して計画を立てるのだが。
その辺は、先生も大目に見ているというか。
暗黙の了解的に、多めに作っていても咎められるコトは無い。
そうして、私の分として受け取ったカップケーキは。
全て食べ切れる筈もなく、家に持って帰ろうと包んだ。
鞄の中を探れば、荷物に押し潰されるというコトなく、キレイな状態にあった。
幾ら、食べてしまえば同じコトとは言え(自分で食べる分には、一向に構わないが)
さすがに、ぺちゃんこに押し潰されたモノを渡すのは気が引ける。
とりあえず、こんなモノしか無いけれど。
夕飯前、少しくらいのお腹の足しになるだろう。

「…俺が貰って、エエんか?」

どうぞ、と差し出すと。一氏くんは、遠慮がちに聞いてきた。
そんな姿に、以前の光景を思い出す。
階段事件後、お礼の品を持参して訪ねた時。
あの時も感じたが、謙虚な人なんだなー、と改めて思った。
家に帰って自分で食べるか、親にあげようかと思っていたモノだ。
だから遠慮せずにどうぞと続ければ、おおきにと一氏くんは受け取った。

尤も、私は作っていないのだけれど。
そう言うと一氏くんは、不思議そうに首を傾げた。
まあ、当然の反応だろうな。
調理実習で作ったのに、作っていないなんて意味不明だ。

実習の班は大体、五人程度のグループに分けられ、割合は女三男二くらいが基本だ。
そうして調理実習というのは、作り終わった後に、プレゼントとして渡す人も居る。
だから特に女子は、張り切っている、気合いの入った人が多い。
今回、私が一緒になった班の女子二人も、そうした側の人達だった。
よって彼女ら主導の元、調理が行われた。
あれこれしてと、指示を出され。言われたコトを、私達残りの三人が行う。
作るのは専ら彼女ら二人で、私達は洗い物をしたり、お皿を出したり等。
言わば、雑用程度のコトしかしていない。
そうした経緯の元、出来たのがこのカップケーキなのだ。
その後も抜かりなく、ラッピングの類も持ってきており。いつ渡そうか? などと話しをしていた。
周りを見回すと、他にも(と言うか殆ど)ラッピングに勤しむ女生徒の姿が目に映った。
誰に渡す気も、そんな考えも無かった私は。
そんな光景を前に、

『積極的な子が多いんだなあ』

ぼんやりと、感心しながら見ていた。
調理実習は基本、班の人間全員で作るコトが前提だけれど。
率先してやりたい人が居て、やりたいのならそれで良いのではないか。
と言うのが、私の持論だったりする。
でもその様子を、見ているだけで楽だなー。
なんて思ってしまう私は、女としては失格なのかもしれない。

「やっぱり女の子は、そういう家庭的? お菓子作りが趣味です、みたいな感じの方が良いのかな?」

「そんなコトもないやろ」

「そう? 一氏くんは―…あ、ゴメン。愚問だったね」

うっかり口にしてしまったが、聞かずとも。というやつだろう。
しかし、当の本人。一氏くんは、解っていないらしく。
不思議そうに、首を傾げるだけだった。

(うーん…、コレは、口にすべきなんだろうか…?)

若干、悩む。
が、恐らく私が言うまで、一氏くんは問い掛けてきそうな気がするし。
まあ、言っても問題は無い、…筈。

「一氏くんの好みのタイプって、金色くんなんでしょう? なら、今の質問は無意味だったかなと思って」

風の噂で、そんな様なコトを耳にした。
だから、一氏くんそういう子がタイプなの? などと聞くのは、愚問だろうと思ったのだ。
それにしても金色くんは、頭が良いだけじゃなくて、料理とかも上手そうだ。
後は可愛い物やお洒落な店とか、美味しい甘味処やカフェなんかにも詳しそうな気がする。
あくまで私の、イメージに過ぎないけれど。
でも、当たらずとも遠からずな気がする。今度、聞いてみようかな?

「…あんな、一つ言うとくけど。俺ホモちゃうで?」

そんなコトを考えていると、一氏くんがぽつりと零した。

「小春のコトは確かに好きやけど。そういう好きと違うし」

…そうだったのか、それは新事実と言うべきか。
噂は噂に過ぎない、というコトだったらしい。
よっちゃんからも、散々ホーモーや!! なんて聞かされ続けたし。
てっきり、そうなのだとばかり思っていたが。
まあ、本人に男の人が好きなの? なんて聞ける訳も無いし。
否、別段そうだと言われても偏見は無いが。

(今のご時世、誰が誰を好きになろうと関係無いしね)

「それじゃあ、彼女が欲しいとか思うの?」

ぽろっと口から出た言葉に、我に返る。
しまった!!
ぼんやりしていた所為もあるが、つい流れで聞いてしまった。
何だかコレって、遠まわしに好きな人は居ないの? とか。
告白めいたコトを、していると思われたりする内容ではないだろうか?
どうしよう…。

「あー…、でも今は部活が大変だろうし。それ所じゃないか」

考えた末、尤もらしいコトを言って誤魔化してみる。
うん、咄嗟とはいえ、我ながらなかなか上手い言い訳ではないだろうか。

「そういうは、彼氏とかおらんの?」

一人納得していると、逆に質問される。

(うわッ、やっぱり流れ的にこうなった!!)

若干、予想範囲内ではあったけれど。そこは、サラッと流して欲しかったとも思う。
だがしかし、何と答えたモノか…。
というか、彼氏なんて居ないのだから、居ないと答えれば良いのだろうけれど。
そしたら次に、好きな人はいないのか? みたいなコトに、ならないとも言い切れない。
それもまあ、特に居ないんだけど…。
何だか、普通過ぎて面白味もない返答な気がする。
そんな回答を、果たして一氏くんは求めているのだろうか?
うーん…。
恐らく、一氏くんも流れで口にしたんだろうし。
否、でもコレは一氏くんからの振りかもしれない。
もしそうだとするならば、私もそれに応えねば申し訳ない。
金色くんや、他の面々みたいに上手いコトが言えないだろうけど…。
よし!!

「私の未来予想図では、恋人もいないし、結婚もしないんだよ!
年を取った両親の介護をして、そんな両親をいつか看取り、その数十年後に老人孤独死か?!
のニュースで終焉を迎えるんだよ。嗚呼、なんて寂しい私の人生!!!
そんな女が一人生きて行く糧は、やっぱり公務員になるのが良いと思うんだけど、どう思う?」

「どんな未来予想図やねん!! 、今いくつっちゅー話しやないか!!
俺らまだ、夢や希望に満ち溢れた10代やろ!! もっと明るい未来想像しいや!!
まあ、でも公務員は安定しててエエと思うけどな。…ってそこだけ、真面目か?!」

「おお!! さすが一氏くん、ナイス突っ込み!!!」

些細なやり取りであるが、唐突にそのコトがとても嬉し感じた。
思わず笑みが浮かび、その理由、答えに辿り着く。
四天宝寺にきてスグの頃、一氏くんを遠くから見つめたコトがあった。
アレはいつだったか、詳しい日時までは覚えて居ないけれど。
何が一番驚いたかと言えば、学校の校風だ。
暫く、呆然としたのをよく覚えている。
校長先生のボケには、全員こけなければいけない。とか。
正門のボケ、やら。部活は運動部と文化部掛け持ちが当然、とか。
一番最後の多少、他の類とは違うけれど。
そこで私は、初めてとんでもない、未知の領域に来てしまったのだと実感した。
開いた口が塞がらない、とか。途方に暮れるというのは、こういうコトを言うのだと。
生まれて初めて、身を持って体験した気がする。
それでも、ココで生活して行かなければいけない現実。
割とポジティブ思考に、私は出来ているけれど。全く戸惑いが無かった、という訳ではなかった。
そうしてぼんやりと、校内を歩いていると華月の建物に辿り着いて居た。
ココは何をする所なのだろう? 疑問に思っていると、中から笑い声が聞こえてきた。
そうして何事だろうかと、躊躇いながらも扉を開けた。
足を踏み入れ、視界に飛び込んで来たのは、一氏くんの姿。
この頃はまだ、一氏くんの名前も知らなかったが。
兎も角、丁度モノマネライブをしいる所だった。
迷惑にならない様に、こっそりと後ろの方へ移動し。
一氏くんが披露する、モノマネを見ていた。
ひとつ、またひとつと一氏くんが何かを披露する度。
そこかしこから、笑いが沸き起こり。笑い声が途絶えるコトは無かった。
転入したばかりの私は、その輪に入るコトが出来ずに。
ただただ舞台に立つ、一氏くんの姿を見つめ続けるしか出来なかった。
その姿は、私にとって衝撃的で。
学校に馴染めるか、とか。これからどうしよう、なんて考えて悩んでいるのが、ちっぽけなコトに思えた。
あの輪に入りたい、あんな風に一緒に笑いたい。
そう私に思わせ、一瞬で惹き付けられた。
世界が変わったと、そう言っても過言ではないかもしれない。
階段事故がきっかけで、ちょっと微妙だななんて思いもするけれど。
あの日、あんなに遠かった一氏くんと知り合えて。
今では話しが出来たり、こうして一緒に帰るコトが出来る様になった。
その事実が、私は凄く嬉しのだ。
こんな話し、今まで誰かにしたコトは無いし。自分の中だけの秘密にしておこうと思っていた。
でもそれは、とても失礼なコトに思えたし。
言葉にするなら、今この時しかないと思った。

「それじゃ、私はこっちだから。また明日ね!!」

何だか照れくさくなり、一氏くんの返事も聞かず背を向けた。
感謝の気持ちが、少しでも伝われば良いなと。
また明日、と。そんな言葉を交わし合える関係。
それはとても素敵で、倖せなコトだなと。小走りに駆けながら思った。






2010.05.15