「オイ、大丈夫か?」

呆然と立ち竦む私の前に、跡部景吾が声を掛けた。

「…どういうコトか、説明して下さい」

十中八九というか、確実にコイツが関係している。
私自身に思い当たる節はないし、彼女の言葉からして間違いないだろう。

『アンタみたいなのと』

…アレは一体、どういう意味なのだろうか。
というか今更だが、随分と失礼な発言だと思う。
上から目線?! 貴方様は、何様ですか。どれだけ偉いんだよって話しだ。
見ず知らずの人間を、いきなり引っ叩くのだから。
相当な神経の持ち主だと思う。
寧ろ、人としてはダメな方に分類されると思う。
幾分、冷静さを取り戻した頭は、先程の遣り取りを思い出させ。
沸々とした、怒りを込み上げさせる。

「…お前と付き合ってる、って言った結果だ」

そこへ来て、跡部景吾の、この発言。
何だって? 今、目の前の男は、何を言った?
付き合ってる? 私と跡部景吾が??
オイオイオイ、冗談も大概にしてくれよ。
いくら相手が、話しが通じずしつこく、ウンザリして辟易してたからってそんな。
手っ取り早く諦めて貰い、解放される手段として。
偶然、目に入った私と付き合っている。等と嘘を吐いたそうですよ。

「何を勝手な!! 迷惑なコトをしてくれたんですかッ!!!」

怒りが上昇していただけに、爆発した。
そんな嘘八百の所為で、引っ叩かれるなんて。
あまりにも、理不尽な話しじゃないか。
跡部景吾の言ったコトが、正しければまだしも…。
いや、いやいやいや。正しかろうが、引っ叩かれるのはご免被る。

「悪かったな」

「悪かったな、じゃないですよ。引っ叩かれるとか、私は叩かれ損じゃないの!!」

「だから、悪かったって言ってんだろ」

全く悪びれた様子もなく、そう言い放つ。
どんだけ尊大!!
何だってこうも俺様なんだよ、この男は!!!
知ってたけどさッ!!!!
この行き場の無い怒り、何処にぶつければ良いのか。
そんなモノは決まっている、目の前にいる尊大な男、跡部景吾本人しかいない。

「悪いと思ってるなら、一発殴らせろ!!」

「あーん? 何で殴られなきゃいけねえんだよ」

「アンタが余計なコト言わなきゃ、私も引っ叩かれるコト無かったんだから。
アンタの所為なんだから、殴らせなさい!!」

やられたら、やり返す。
コレ、当然の権利だと思います。
まあ本来なら、あの女にやるべき所だが。
生憎とこの場に居ないし、何よりこうなった責任は跡部景吾にこそある。
断られた所で、何とか一発くらい殴ってやる気でいたが。

「…ちッ、仕方ねえ。一発なら叩かれてやる」

渋々、本当に渋々ではあるが、跡部景吾は了承した。
さすが氷帝のキング、そこは男らしいと評価してやろう。
まあ、だからと言って手加減などしませんが。
私は平手で頬を叩かれた訳だが、平手打ちなど高が知れていそうな気がする。
うーん…、暫し悩みながら跡部景吾の前に立ち、手を振り上げ。
殴る直前、開いていた手をグーにしてやった。

「ッ?! てめ…、グーで殴る奴があるか」

さすがに、抗議の声が上がった。
だがしかし、私は平手打ちする等と言った覚えは無い!!!

「聞ーこーえーなーいー!! 利子です、オマケですよ!!」

耳を塞ぎ、一歩後ろに下がる。
そもそも私と跡部景吾には、身長差がある訳で。
グーで殴ったとはいえ、下から頬を殴るのだから。
威力だって、横からいくよりは軽減されていると思う。
アッパーだったら、違うかもしれないけど。
しかしながら、ああして文句を言いながらも。
跡部景吾という人物は、女子に手を挙げる。なんて暴挙に出る様な人間ではない。
ましてや、自分自身に責任の一端があるのだから。

「何だそりゃ…」

思った通り、私の言葉に呆れた様な、眉を顰めてそう零すだけだった。

「はあー…、ホントにとんだ災難だよ。こんなバカな真似、もうしないでよ!!」

「…しねえよ、また殴られるのは俺も御免だ」

一発殴り、幾分かスッキリした。
そうして念を押せば、さすがの跡部景吾も同じらしく。
自業自得とはいえ、面倒事が増えただけだし。
そこは素直に、同意した。
言いたいコトもやりたいコトも終え、私は跡部景吾に背を向け立ち去った。










それにしても、貴重な体験をしたモノだと、コレまでの出来事を振り返る。
私が引っ叩かれた所は、未だに解せないので思い出したくもないが。
兎に角、あの(強調) 跡部景吾を殴るなんて。
早々、出来るコトではない。
跡部景吾に限らず、そういう経験は滅多に起きるモノでもない気はするが。
そして、殴ってみて思ったコトもある。
私から言い出したコトだし、理由がアレなだけに、何とも微妙な所だが。
どんな理由があれ、人なんて殴るモノじゃないな。というコトだ。
やっぱり、良心が痛むというか。
人として、そうした行為は如何なモノかと思う。
まあ、だからといって謝る気はないから、矛盾しているけれど。
とりあえず、この件はコレで終了。
キレイサッパリ忘れ、水に流すとしよう。
そう私は、気持ちをスッパリ切り換えた。
しかしながら、世の中というのは、そう単純に行かないモノであり。
私の思いとは裏腹に、事態はコレで終わりを迎えてはくれなかった。
寧ろ、始まり。
非日常への幕は、静かに揚げられていたのだ。






(2010.10.10)