『折にふれて君を思う』
『もしも未来が解ったら、どうする?』
唐突な、脈略の無い問い掛け。
「何だ、突然。」
「只の例え話だよ。」
「モノにもよるだろ?」
「うーん、それじゃあ…。」
『自分が死ぬ日』とか―――。
それは必ず、誰しもにいつか訪れるモノ。
「…どうにも出来ないなら、いつも通り過ごすんじゃないか?」
「いつも通り?」
「ああ。」
「ホントに?本当にそれで良いの?」
「それじゃあ、お前ならどうするんだよ?」
「俺もいつも通りの生活を送る。」
「おい!」
「はは、だって他に思い付かないし。でもさ…。」
死ぬ日が解っていて、いつも通りの日常生活を過ごすコトと
その日が来るまで解らずに、いつも通りの生活を送るのとだったら。
どちらの方が、幸せなんだろうね―――?
「三村は、どっちのが良い?」
「俺、は―――。」
解っているのと、解らないでいるのとでは、恐らく180度違う。
日に日に迫り来る、死の恐怖に耐える毎日と。
けれど、ガムシャラに精一杯生きるであろう日々は、以前に増して充実したモノになるのではないだろうか。
唐突に訪れるのであるならば、その瞬間、様々な未練が頭を過るかもしれない。
あの時、こうしていれば良かった。やり残したコトがまだ、あったのに。と。
それならば、解っている方が幸せなのだろうか?
否
きっとそれは、人それぞれで、解っていても解らずにいても。
その瞬間(とき)が来なければ、最終的に判断出来ないモノであるような気がする。
只、今の自分に言えるのは。
「どちらにせよ、最期に映るのがお前なら良いと思う。」
それだけ呟いて、目の前にある細い身体を抱き締めた。
fin.
2004.05.07 2005.11.06改
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