慣れた手付きで釦を外していく手を、ぼんやりと眺めていると。
ふいに、初めて行為に及んだ時のコトを思い出した。
あの日は、心なしか手が震えていた様な気がする。










それは、静かに雨が降り頻る日だった。















『いつか』
















三村と初めて行為に及んだのは、付き合い出してから、然して日の経たない頃だった。
まあ、日数等と言うのは、別段どうでも良いと思う。
したいと三村が思うのであれば、それで構わないし。断るという選択肢は、俺の中には無かった。
俺としては、行為に及ぶコトよりも、鬱々とした思考に苛まされるコトの方が、問題だった。
それを解消すべく、三村の家を訪ねた。
そうして、お互いに言いたいコトをぶつけ合い、一先ず解決をした後だ。
けれど解消し、スッキリしたのは俺の方だけだったらしく。
行為に及ぶ直前まで、躊躇いながら、三村は問い掛けてきた。
何をそんなに、躊躇う必要があるのか。
俺には、その理由が解らず、酷く不思議に思えた。



『他人に触れられるコトを、快く思っていないのに。それを俺なんかが簡単に、触れても良いのか解らない。』



来るもの拒まず、去る者追わず。
三村は一部で、そんな風に称されていた。
そのコトについて、話したコトはないから、深くは知らない。
話したくないのか、避けている節もあったから、聞く様な真似もしなかった。
噂と言う物は、尾がつき鰭がつき、大きくなって行くモノ。
だから全て鵜呑みに、信じていた訳ではない。
けれど多少、思っていたコトは否めない。
誰と行為に及んだとしても、躊躇い等は持たない人間だと思っていた。
どうやらそれは、全く違ったらしい。



三村の言葉を聞きながら、そんなコトをぼんやり思った。
驚きと衝撃、ショックというのとは少し違うけれど。
色々、複雑な気分だった。
動揺というべきなのか、心が、揺れた。










抱き締めたり、キスもしたコトがあるというのに。
今更、何を言っているのだろうという気もした。
それ以上に踏み込んだ行為なだけに、躊躇わせる理由になるのかもしれない。
この辺の理屈は、俺には解らないコトだ。
唯、俺自身に出来るコトなどは、たかが知れている。
三村は、何もない、持っていない俺の様な人間に何かを望んでくれた存在。
出来る範囲で、可能なコトであるなら何でもするし、叶えてあげたい。
こんな風に言うのは、傲慢かもしれないけれど。
でも、三村の告白を受け入れた時から、俺はずっと、そう思っていた。
だから、 三村が望むコトであるならば、俺は拒絶しないし、断る理由も初めから存在しなかった。



そう思う一方で。
俺が思っていた以上に、三村は優しい人間だった。
他人の痛みの解る、優しい人。
今更ながら、その事実を思い知らされて。
本当に俺は、三村の傍に居ても良いのか。
あの日、告げられた言葉を、疑っている訳じゃない。
疑うとか、信じるとか。そんな次元の問題なんかじゃない。
唯、三村が本当に、優しい人間だから。
こんなに、こんなにも想われている事実が。
俺は、怖かった。










誰かを想い、誰かに想われる。
相手を受け入れ、相手に受け入れられる。
自身の中に、他人のスペースを作るコトは。想像以上に難しく、大変なモノなのだ。
今の俺なんかには、堪えられそうにない。
度量も、覚悟も、何もかもが足りない。
思い知らされた現実に、涙が滲み出そうになったのを。
強引に自ら、三村に口付けるコトで隠した。




















あの日を、思い返すと、碌でもない始まりだった気がする。
行為自体のコトは、ぼんやりとしていて。
寧ろその前に交わした、会話の方が鮮明に覚えている。
嗚呼、そういえば一つ。
三村の手が、微かに震えていたコトは覚えている。
今思うとアレは、俺の所為なのだろう。
三村の言葉に、俺が返した言葉。
面と向かって言われたら、至極当然の反応かもしれない。
でも、隠し通せるモノでも無いならば。早いに越したコトは無い。
だから、後悔はしていない。
散々、三村を傷付けて。更に傷を与えてしまったけれど。
お互いの為にも、必要なコトだった。
こんな一言で片付けてしまうのは、奇麗事かもしれない。
それでも今、三村は変わらず俺の目前に居て、同じ行為に及ぼうとしていた。
躊躇いなく、触れてくるまでには、随分と葛藤もしたのだろう。
あの時とは違い、しっかりと意思を持った手と、何処かスッキリとした表情が物語っている。

「三村は優しいよね。」
「…何だよ、突然。」

唐突な俺の言葉に、三村は眉を顰めた。

「別に、何でもないよ?」

曖昧に笑い、三村の唇を自分のそれで塞ぐ。
納得いかないのか、微妙な表情をしていたけれど。
それ以上、追及していないコトは解っていた。
だから、そのまま手を伸ばし。三村の服のボタンに、指を掛けた。





三村が、誰とどのような関係にあろうと。
それは当人同士の問題で、俺はとやかく口出しする気もないし、興味もない。
いつか、俺以外の違う人間と付き合う時が来たとしても、構わないと思う。
その時は、躊躇いなく手を離せる様に、身を引くから。
こんなコトを言えば、三村は怒るかもしれない。
でも俺には、その位しか出来るコトがない。
倖せで居てくれるなら、三村の隣に在るのが誰であろうと構わない。
それが俺の、紛れもない、偽ざる本心だ。

俺は卑怯で、狡い人間だ。
嘘は吐いていないけど、代りに隠し事は沢山ある。
だけど。
今の俺に足りない、様々なモノ達が。
充分、満たされる時が来るまで。三村の傍に、居るコトが出来たなら。
その時は、包み隠さず全部話すから。
三村が俺を想う重量、気持ち。それが、同じモノかは解らないけど。
それでも俺が、三村を想っているのは真実(ほんとう)だから。
受け入れている様で、流される様に見えてしまう。そんな俺の態度を、今は許して。





微かな笑みに、そんな想いを乗せて。
触れられた掌の温もりに、目を閉じた。











fin.




2003.08.10
2009.03.31改