鳥籠の中の鳥が、不幸だなんて、一体誰が決めたんだろう。










『空の鳥籠』










それは慈恵館に来て、スグの頃。
庭で遊び、走り回り、笑い合ってる自分と然程年の変わらない子供達の姿。
酷く新鮮でいて、それでも何処かに感じる違和感。
あの輪の中に、自分は入れない。
漠然と、そう思った。










『今日からココが、貴方の帰る家よ。』










そう告げられた空間で。
一体自分が、コレから何を、どうして良いのか解らなかった。
只、
広大な世界に一人。
突然、ぽつりと放り出されたコトは理解できた。





















広く、大きな家に、一人。
気付けば、いつも自分は一人きりだった。
父親も、母親も。
滅多にその姿を見るコトは無かった。
父親は忙しい人らしく、たまに会えたとしても、その目に俺の姿が映ってはいないようだった。
母親は地位とか名誉とか。お金が好きなで、派手な人だった。
そしてその人は、殴るか罵声を浴びせるか。
それ以外を、俺には与えてくれなかった。



そんな毎日が、苦で無かった。と言えば、嘘になる。
何度、終ってしまえば良いと思っただろう。
いらない、必要無い存在なのだから。そうした所で構わないと思った。
誰一人として、哀しむ人間(ひと)も存在(い)ないし。
何が変わる訳でもないのだから。

だけど。
それでも尚、自分が不幸だったなんて、思ったコトはなかった。
”ソレ”が普通だと思っている訳だし、他と比べようが無いのだから。
何を基準に「幸福」か「不幸」かを選定するのかは解らない。
回りから見て不幸でも、自分にとってはこの上ない幸福だってある。
決めるのは回りでは無く、いつだって自分自身。
でも、あんな風に。
無邪気に笑ったコトなど、あの家では無かった。



嬉しいとか楽しいとか。
寂しいとか哀しいとか。
既に、それらがどのようなモノなのかなど、俺にはよく解らなかったから。










ココ、慈恵館に来て得たモノは。
「自由」と呼ばれるモノなのかもしれない。
だけど自分は、自由が欲しかった訳ではない。
そんなモノ、別に欲しくはなかった。
あの家で、苦痛は存在したけれど、自由が無かった訳じゃない。
寧ろ、自由過ぎる程だった。
俺が何をしても、何をされても。
顧みてくれる存在もなかったのだから。





















広く、何処までも続く大空を知らない籠の鳥。
その鳥にとって、開け放たれた世界というのは、幸福ではなく寧ろ不幸なのではないだろうか。
自由を追い求め、広大な空に恋焦がれ、自ら籠を開けた鳥とは違う。
こんなに広く、右も左も解らない、知らない世界に一人放り出されて。
生きて行くコトなど出来はしない。
何故、あの籠は開け放たれてしまったのだろう。
そんなコト、俺は望んでいなかった。
中途半端な優しさを。
慈悲を、情けを与えられたのだろうか。





だけど、そんなモノは要らない。
優しさを、今更くれると言うならば。
いっそあのまま、終った方が良かった。
あの人が、母親が始めた自分に笑いかけてくれた時に。
始めて嬉しいと、幸福だと思えたあの瞬間に。










身体に消えず残る傷痕。
その代償として、手に入れた自由。
だけど。
心は、あの鳥籠のような空間に、捕われたまま。
置き忘れてきてしまった。
だから今。
ココに在るのは、ただの抜け殻にすぎない。

いつまでも、開け放つコトが出来ず、取り戻せずに。
この先死ぬまで、生きて行かなくてはいけない。
それは「幸福なコト」なのか。
それとも「不幸なコト」なのか。










ただ、知らず涙が零れ落ちた―――。
















fin.




題名の「空」は「ソラ」ではなく「カラ」です。

2004.11.02