鳥籠の中の鳥が、不幸だなんて、一体誰が決めたんだろう。 『空の鳥籠』 それは慈恵館に来て、スグの頃。 庭で遊び、走り回り、笑い合ってる自分と然程年の変わらない子供達の姿。 酷く新鮮でいて、それでも何処かに感じる違和感。 あの輪の中に、自分は入れない。 漠然と、そう思った。 『今日からココが、貴方の帰る家よ。』 そう告げられた空間で。 一体自分が、コレから何を、どうして良いのか解らなかった。 只、 広大な世界に一人。 突然、ぽつりと放り出されたコトは理解できた。 * 広く、大きな家に、一人。 気付けば、いつも自分は一人きりだった。 父親も、母親も。 滅多にその姿を見るコトは無かった。 父親は忙しい人らしく、たまに会えたとしても、その目に俺の姿が映ってはいないようだった。 母親は地位とか名誉とか。お金が好きなで、派手な人だった。 そしてその人は、殴るか罵声を浴びせるか。 それ以外を、俺には与えてくれなかった。 そんな毎日が、苦で無かった。と言えば、嘘になる。 何度、終ってしまえば良いと思っただろう。 いらない、必要無い存在なのだから。そうした所で構わないと思った。 誰一人として、哀しむ人間(ひと)も存在(い)ないし。 何が変わる訳でもないのだから。 だけど。 それでも尚、自分が不幸だったなんて、思ったコトはなかった。 ”ソレ”が普通だと思っている訳だし、他と比べようが無いのだから。 何を基準に「幸福」か「不幸」かを選定するのかは解らない。 回りから見て不幸でも、自分にとってはこの上ない幸福だってある。 決めるのは回りでは無く、いつだって自分自身。 でも、あんな風に。 無邪気に笑ったコトなど、あの家では無かった。 嬉しいとか楽しいとか。 寂しいとか哀しいとか。 既に、それらがどのようなモノなのかなど、俺にはよく解らなかったから。 ココ、慈恵館に来て得たモノは。 「自由」と呼ばれるモノなのかもしれない。 だけど自分は、自由が欲しかった訳ではない。 そんなモノ、別に欲しくはなかった。 あの家で、苦痛は存在したけれど、自由が無かった訳じゃない。 寧ろ、自由過ぎる程だった。 俺が何をしても、何をされても。 顧みてくれる存在もなかったのだから。 * 広く、何処までも続く大空を知らない籠の鳥。 その鳥にとって、開け放たれた世界というのは、幸福ではなく寧ろ不幸なのではないだろうか。 自由を追い求め、広大な空に恋焦がれ、自ら籠を開けた鳥とは違う。 こんなに広く、右も左も解らない、知らない世界に一人放り出されて。 生きて行くコトなど出来はしない。 何故、あの籠は開け放たれてしまったのだろう。 そんなコト、俺は望んでいなかった。 中途半端な優しさを。 慈悲を、情けを与えられたのだろうか。 だけど、そんなモノは要らない。 優しさを、今更くれると言うならば。 いっそあのまま、終った方が良かった。 あの人が、母親が始めた自分に笑いかけてくれた時に。 始めて嬉しいと、幸福だと思えたあの瞬間に。 身体に消えず残る傷痕。 その代償として、手に入れた自由。 だけど。 心は、あの鳥籠のような空間に、捕われたまま。 置き忘れてきてしまった。 だから今。 ココに在るのは、ただの抜け殻にすぎない。 いつまでも、開け放つコトが出来ず、取り戻せずに。 この先死ぬまで、生きて行かなくてはいけない。 それは「幸福なコト」なのか。 それとも「不幸なコト」なのか。 ただ、知らず涙が零れ落ちた―――。 fin. |
題名の「空」は「ソラ」ではなく「カラ」です。
2004.11.02